薩土倒幕挙兵の密約とは? わかりやすく解説

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薩土倒幕挙兵の密約

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/03 15:42 UTC 版)

中岡慎太郎」の記事における「薩土倒幕挙兵の密約」の解説

慶応3年(1867年)慎太郎は江戸乾退助を京に呼び寄せ5月18日(太陽暦6月20日)、京都東山料亭「近安」で、乾、福岡藤次広島藩船越洋之助らと会見した。さらに5月21日(太陽暦6月23日)、慎太郎は乾を薩摩西郷隆盛会わせることにし、以下の手紙を書いた一筆拝呈仕候。先づ以て益々御壮榮に御坐成さらるる可く、恭賀たてまつり候。今日午後乾退助同道議論罷り出で申したく、よっては大久保先生吉井先生方にも御都合候はば、御同会願いたてまつりたき内情御座候。もつとも強いて御同会願いたてまつると申す訳には、御座なく候。何分にも御都合次第御事存じたてまつり候。尚又今日、昼後の処、もし御不工面に候はば、何時にてもよろしき儀に御座候間、悪しからぬ様、願い上げたてまつり候。右のみ失敬ながら愚礼呈上、如比御座候、以上。(慶応三年)五月廿一日 清之助 再拝 (西郷)南洲先生机下 これにより、慎太郎は同日京都(御花畑)の薩摩藩家老小松清廉寓居 で、土佐藩谷干城毛利恭助とともに薩摩藩西郷吉之助(のちの隆盛)らと武力倒幕議する事となった。 西郷吉之助薩摩藩小松帯刀薩摩藩中岡慎太郎土佐藩谷干城土佐藩乾退助土佐藩) 乾が後年談話(『維新前後経歴談』)で語った内容によれば、彼は「私に三十日の日を假して呉れれば、土佐へ行って兵を募る。其兵を募ることが出来なかったら私は割腹する」と誓い慎太郎もまた「私が西郷さんの所に人質残って、乾の言うことが無になったら私が割腹する」と決意述べたことで、西郷信頼得て出兵薩土密約)を約した。 ただし、近年の研究によれば、この出兵約定は、乾や西郷らが個人資格結んだものであり、藩を代表した密約とはいえいとされる

※この「薩土倒幕挙兵の密約」の解説は、「中岡慎太郎」の解説の一部です。
「薩土倒幕挙兵の密約」を含む「中岡慎太郎」の記事については、「中岡慎太郎」の概要を参照ください。

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