薩土密約の履行とは? わかりやすく解説

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薩土密約の履行

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/03 15:42 UTC 版)

中岡慎太郎」の記事における「薩土密約の履行」の解説

中岡慎太郎11月17日死去したが、中岡奔走し締結させた薩土密約が、その後土佐藩将来決定づけることとなる。慶応3年12月(1867年12月下旬1868年1月上旬)、武力倒幕論を主張し大政奉還論に反対して失脚した乾退助残して土佐藩兵が上洛。同12月28日(1868年1月22日)、土佐藩山田平左衛門吉松速之助らが伏見警固につくと、薩摩藩西郷隆盛土佐藩士谷干城薩長芸の三藩へは既に倒幕勅命下ったことを示し薩土密約に基づき乾退助大将として国元土佐藩兵を上洛させ参戦することを促した。谷は大仏智積院土州本陣戻って執政山内隼人深尾茂延、深尾成質の弟)に報告慶応4年1月1日(1868年1月25日)、谷は下横目森脇唯一郎を伴って京を出立1月3日(太陽暦1月27日)、鳥羽伏見戦闘始まり1月4日(太陽暦1月28日)、山田隊、吉松隊、山地元治北村重頼二川元助らは藩命待たず薩土密約履行して参戦1月6日(太陽暦1月30日)、谷が土佐到着1月8日(太陽暦2月1日)、乾退助の失脚解かれ1月13日(太陽暦2月6日)、深尾成質総督乾退助大隊司令として迅衝隊編成し土佐出陣戊辰戦争参戦した

※この「薩土密約の履行」の解説は、「中岡慎太郎」の解説の一部です。
「薩土密約の履行」を含む「中岡慎太郎」の記事については、「中岡慎太郎」の概要を参照ください。

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