乾退助の失脚
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/19 22:48 UTC 版)
10月8日(太陽暦11月3日)、乾退助が、土佐藩歩兵大隊司令役を解任される。さらに、後藤象二郎の献策による大政奉還論が徳川恩顧の土佐藩上士の中で主流を占めると、過激な武力討幕論は遠ざけられたが、退助は下記の通り建言。 大政返上の事、その名は美なるも是れ空名のみ。徳川氏、馬上に天下を取れり。然(しか)らば馬上に於いて之(これ)を復して王廷に奉ずるにあらずんば、いかで能(よ)く三百年の覇政を滅するを得んや。無名の師は王者の與(くみ)せざる所なれど、今や幕府の罪悪は天下に盈(み)つ。此時に際して断乎(だんこ)たる討幕の計に出(い)でず、徒(いたづら)に言論のみを以て将軍職を退かしめんとすは、迂闊を極まれり。乾退助 しかし、容堂は「退助また暴論を吐くか」と笑って取り合わなかった。乾は大政奉還論に真っ向から反対する意見を貫いたことで全役職を剥奪され失脚した。
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