乾退助と時勢について対論
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/08 10:03 UTC 版)
「寺村道成」の記事における「乾退助と時勢について対論」の解説
同10月17日、山内容堂の前において、武闘派の乾退助と時勢について対論をすることになり、寺村は穏健な公武合体論を述べ、乾退助は尊皇攘夷論を唱えた。 寺村は、当時藩政を主導した改革派の吉田東洋によって起用されたが、吉田に敵対する土佐勤王党の武市瑞山らの過激尊王攘夷派からも、無難な穏健派と見られていた。しかし、吉田東洋を暗殺して藩の主導権を握った土佐勤王党が尊王攘夷派の衰退により藩当局の弾圧を受けるようになると、元治元年(1864年)6月には側用役を罷免となり、容堂から遠ざけられた。
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