冬氏薨去後の跡目争い
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/07/05 06:38 UTC 版)
「大炊御門冬氏」の記事における「冬氏薨去後の跡目争い」の解説
『師守記』の暦応3年/興国元年(1340年)2月1日の条によると、冬氏薨去後に二人の息男である氏忠と冬信の間で跡目相続争いが発生していたとある。以後も大炊御門家の跡目相続問題が『師守記』に散見され、最終的に冬信が嫡子として相続したのである。
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