喜久子妃の薨去後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/18 07:16 UTC 版)
2005年(平成17年)以降、旧高松宮邸敷地および邸宅は「高輪皇族邸」として無人のまま宮内庁の管理下におかれている。職員住宅が建てられていた敷地南東部の約1,800平方メートルは喜久子妃薨去後に払い下げられ、住友不動産が2007年(平成19年)、高級分譲・賃貸マンション「クラッシィハウス高輪」を竣工。一室に高松宮妃癌研究基金の本部事務所が入居し、事務所内には旧宮邸の居室が再現され、宣仁親王や喜久子妃が愛用した調度品が展示されている(非公開)。 また、高松宮は有栖川宮から翁島別邸(福島県耶麻郡翁島村他)・葉山別邸(神奈川県三浦郡葉山村)と麻布御用地(東京府東京市麻布区、現在の東京都港区南麻布他)を引き継いだが、麻布御用地は1934年(昭和9年)東京市に下賜され、有栖川宮記念公園として整備された。翁島別邸も1952年(昭和27年)福島県に払い下げられ、現在は天鏡閣および福島県迎賓館として公開されている。 1933年(昭和8年)に宮ノ下御用邸を取得して宮ノ下別邸としたが、1946年(昭和21年)に富士屋ホテルへ譲渡し、同ホテルの別館「菊華荘」として現存する。西園寺公望の別邸・坐漁荘(博物館明治村に移築)も一時期高松宮が所有し、戦後の一時期、喜久子妃の兄・徳川慶光一家が居住していた。葉山別邸のみ昭和後期まで継続して宮家が保有したが、宣仁親王の薨去に伴う相続税支払いのため、喜久子妃によって住友信託銀行へ売却された。跡地には2003年(平成15年)、神奈川県立近代美術館・葉山館が建設された。
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