宣仁親王妃喜久子
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宣仁親王妃 喜久子(のぶひとしんのうひ きくこ、1911年〈明治44年〉12月26日 - 2004年〈平成16年〉12月18日)は、日本の皇族。元華族。高松宮宣仁親王の妃[1]。 旧名、徳川 喜久子(とくがわ きくこ)。徳川慶久[注釈 1]公爵令嬢。母は有栖川宮威仁親王の第2王女・實枝子女王。身位は親王妃。お印は初めが亀(かめ)、結婚後は撫子(なでしこ)。
注釈
出典
- ^ a b Company, The Asahi Shimbun. “皇室の系図-皇室とっておき:朝日新聞デジタル”. 朝日新聞デジタル. 2019年5月1日閲覧。
- ^ 威仁親王行実(下) 1926 p.352
- ^ 威仁親王行実(下) 1926 p.261
- ^ 威仁親王行実(下) 1926 p.352-353
- ^ 高松宮妃喜久子 1998 p.19
- ^ 昭和5年宮内省告示第5号(『官報』第929号、昭和5年2月5日)(NDLJP:2957396)
- ^ a b 『官報』第929号「叙任及び辞令」、昭和5年2月5日(NDLJP:2957396/4)
- ^ 『婦人公論』平成14年2月号。
- ^ 『官報』第4438号・付録「辞令二」1941年10月23日。
- ^ 『官報』第1157号「宮廷録事」、昭和5年11月6日(NDLJP:2957624/1/3)
- ^ 『官報』第1164号「宮廷録事」、昭和5年11月14日(NDLJP:2957631/1/3)
- ^ 『官報』第1204号「宮廷録事」、昭和6年1月7日(NDLJP:2957672/1/5)
- ^ a b 徳川慶喜の孫、榊原喜佐子さん死去 - 読売新聞2013年11月28日[リンク切れ]
- ^ 最初の夫は松平康愛(父は松平康昌)、夫は海軍士官で出征戦没し、戦後高校での同窓生の井手次郎(医師)と再婚した。
- ^ 『入江相政日記』より
- ^ 高松宮妃喜久子『菊と葵の物語』より
- 1 宣仁親王妃喜久子とは
- 2 宣仁親王妃喜久子の概要
- 3 系譜
- 4 脚注
- 5 外部リンク
喜久子(きくこ)
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真の初恋の女の子。結局告白できないまま、真が小学5年の時に引っ越した。
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