勧修寺長吏
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/20 05:34 UTC 版)
「長吏 (社寺の長官)」の記事における「勧修寺長吏」の解説
勧修寺長吏は、別当とも称し、寛胤親王(後伏見天皇皇子)が第15世長吏に任ぜられてから、幕末の32世長吏、済範(山階宮晃親王)まで、代々親王をもって長吏とした。 済範入道親王も伏見宮の出身であったが、還俗して山階宮家を創設し、山階宮晃親王となった(詳細は、山階宮の項参照)。 現在も、山階宮家出身の元皇族である筑波藤麿(侯爵)の子、筑波常遍が第45代長吏を務める。 その歴代については、「続群書類従」所収の「勧修寺長吏次第」に、初代から第30代長吏である尊孝親王(伏見宮家・後伏見天皇十五世皇孫)までが記載されている。 参考例として、江戸時代に勧修寺長吏となった皇族は以下のとおり。 済深 霊元天皇皇子。寛文11年8月16日生、元禄14年12月2日薨。 尊孝 伏見宮邦永親王皇子、霊元天皇猶子。元禄14年12月29日生。延享5年2月18日薨。 寛宝 伏見宮貞建親王皇子、桜町天皇猶子。のちに還俗し、伏見宮邦頼親王となる。享保18年10月28日生、享和2年9月8日薨。 済範 伏見宮邦家親王第一皇子。明治に還俗し、山階宮晃親王となる。文化13年9月2日生、明治31年2月17日薨。
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