有馬貞子とは? わかりやすく解説

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有馬貞子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/09/09 03:16 UTC 版)

貞子女王
北白川宮家、久留米有馬家
続柄 北白川宮能久親王の第二王女

身位 女王降嫁
敬称 殿下 → 降嫁
出生 (1887-08-06) 1887年8月6日
日本
死去 (1964-08-16) 1964年8月16日(77歳没)
日本
配偶者 有馬頼寧伯爵
子女 一覧参照
父親 北白川宮能久親王
母親 岩浪稲子
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有馬 貞子(ありま さだこ、1887年明治20年)8月6日[1][2] - 1964年昭和39年)8月16日[2])は、日本の元皇族。元華族有馬頼寧伯爵夫人。皇族時代の名と身位貞子女王

生涯

北白川宮能久親王と側室の岩浪稲子の娘として生まれる。1895年明治28年)10月28日、父能久親王と死別。

1902年(明治35年)11月6日付で有馬頼萬伯爵の嗣子有馬頼寧との結婚の勅許が下りた[3]。翌1903年(明治36年)2月6日有馬頼寧に降嫁した[4]

長男、次男に相次いで先立たれ、1957年(昭和32年)1月9日には夫頼寧とも死別した。

小説家として活躍した三男の有馬頼義には『母 その悲しみの生涯』と題し、貞子を題材とした著作がある。

血縁

脚注

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注釈

出典

  1. ^ 『纂輯御系圖』(松成堂、1903年)、p.201(NDLJP:1085748/120
  2. ^ a b 『平成新修旧華族家系大成 上巻』61頁。
  3. ^ 『官報』第5804号「宮廷録事」、明治35年11月7日(NDLJP:2949107/7
  4. ^ 明治36年宮内省告示第2号(『官報』号外、明治36年2月6日)(NDLJP:2951699/14
  5. ^ a b c 『人事興信録』第8版(1928年7月)、「有馬頼寧」の項

参考文献

外部リンク




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