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斎藤斉

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/30 12:19 UTC 版)

斎藤斉

斎藤 斉(さいとう ひとし、旧字体齋藤󠄁 齊1898年明治31年)12月2日[1] - 1961年昭和36年)1月23日[1][2])は、大正から昭和期の逓信技師政治家華族貴族院子爵議員。旧姓・豊川[1]

経歴

実業家・豊川良平の五男として生まれ、海軍士官斎藤実の養子となる[1][3]。養父が二・二六事件薨去したことにより、1936年(昭和11年)6月15日、子爵を襲爵した[1][3][4]

1924年(大正13年)東京帝国大学理学部数学科を卒業[2][3]1925年(大正14年)内閣統計局統計官補に就任[2]。以後、簡易保険局技師兼通信技師、兼内閣統計局統計官、保険院技師、通信院工務局標準電波建設所長、保険院保険制度調査会幹事、統計数理研究所参与、社会保険制度調査会委員、木船保険審査会委員などを務めた[2][3]

1944年(昭和19年)4月8日、貴族院子爵議員補欠選挙で当選し[5][6]研究会に属して活動し1947年(昭和22年)5月2日の貴族院廃止まで在任した[2]。墓所は多磨霊園(7-1-2-16)

親族

脚注

  1. ^ a b c d e f g 『平成新修旧華族家系大成 上巻』628頁。
  2. ^ a b c d e 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』44頁。
  3. ^ a b c d 『人事興信録 第14版 上』サ71-72頁。
  4. ^ 『官報』第2835号、昭和11年6月16日。
  5. ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、52頁。
  6. ^ 『官報』第5169号、昭和19年4月10日。

参考文献

  • 人事興信所編『人事興信録 第14版 上』人事興信所、1943年。
  • 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成 上巻』霞会館、1996年。


日本の爵位
先代
斎藤実
子爵
斎藤(実)家第2代
1936年 - 1947年
次代
華族制度廃止



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