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斎藤文蔵

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/02 21:38 UTC 版)

斎藤文蔵

斎藤 文蔵(さいとう ぶんぞう、1886年明治19年)7月23日 - 1930年昭和5年)11月6日[1])は、日本歴史学者教育者

経歴

静岡県沼津市出身。第一高等学校を経て、1910年(明治43年)、東京帝国大学文科大学を卒業。維新史料編纂事務局に勤務の後、島津公爵家史料編輯所に勤務した。1922年大正11年)、山形高等学校教授に就任し、1927年(昭和2年)に東京女子高等師範学校教授・附属高等女学校主事となり、第六臨時教員養成所講師も兼ねた。

著作

  • 『ビスマルクとドイツ帝国の建設』(冨山房、1914年)
  • 『世界偉人逸話選』(良書普及会、1917年) 樹下快淳と共著

脚注

  1. ^ 『官報』第1171号、昭和5年11月22日。

参考文献

  • 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第3版』帝国秘密探偵社、1930年。 
公職
先代
主事事務取扱
北沢種一
東京女子高等師範学校附属高等女学校主事
1928年 - 1930年
次代
北沢種一



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