アーサー・ディオシー
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アーサー・ディオシー(Arthur Diósy[注釈 1]、1856年6月6日 - 1923年1月2日)は、イギリスの講演活動家、著述家。
注釈
- ^ Ó のアクセント符号を略し、Arthur Diosyとも綴られる。
- ^ 日本語題は『新極東』ともされる。この書籍は、同時代の日本では「最も公平」に日本を描き「我が国体の国粋国華を発揮」して「従来外国人の誤解謬見を指摘」した(『読売新聞』1899年4月14日付)と絶賛された[7]。イギリスでは日本に対する追従が目立つとする意見もあった[6]。
- ^ なお、かれらのグループはのちに日英協会を組織する。
- ^ 誤報を行った『毎日新聞』(現在の毎日新聞とは無関係)は、廃娼運動に取り組む木下尚江を副編集長に擁していた。これに対して『時事新報』がディオシーの弁明を載せるとともに現地取材を行い、同日に吉原を訪れ一晩を過ごした2名のアメリカ人と混同されたと検証した[11]。
出典
- ^ a b c 長岡、p.2
- ^ a b c d e f g h i j k l m 長岡、p.3
- ^ 長岡、pp.2-3
- ^ a b c d 長岡、p.1
- ^ a b c d e f g h i j k 長岡、p.4
- ^ a b c d 長岡、p.5
- ^ a b c 長岡、p.6
- ^ 飯倉章「世紀の終りと「黄禍」の誕生 : カイザーとその寓意画,および三国干渉」『国際文化研究所紀要』第3号、城西大学国際文化研究所、1997年7月、 1-23頁、 doi:10.20566/13412663_3_1、 ISSN 1341-2663、 NAID 110004871943、2021年5月1日閲覧。
- ^ 橋本順光『英国における黄禍論と小説』Edition Synapse、2012年、10-11頁。ISBN 9784861660337。NCID BB09531109。2021年5月1日閲覧。
- ^ 長岡、pp.6-7
- ^ a b c 長岡、p.7
- ^ 長岡、pp.5-6
- ^ a b c d e f g 長岡、p.8
- ^ 長岡、pp.8-9
- ^ a b c 長岡、p.9
- ^ 市川義則「明治期後半における日仏関係―パリ日仏協会を中心として― (PDF) 」 『アルザス日欧知的交流事業 日本研究セミナー「明治」報告書』、2016年3月3日閲覧。
- ^ a b 新井清司「ロンドンでコナン・ドイルと出会った日本人」『波』2011年12月、2016年3月3日閲覧。
- 1 アーサー・ディオシーとは
- 2 アーサー・ディオシーの概要
- 3 脚注
- アーサー・ディオシーのページへのリンク