海外興行・翻訳劇とは? わかりやすく解説

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海外興行・翻訳劇

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/11 15:26 UTC 版)

川上音二郎」の記事における「海外興行・翻訳劇」の解説

1899年明治32年)、渡米して現地興行を行う。このとき、妻・貞奴舞台に立つことになったシカゴボストンサンフランシスコなどで甚五郎道成寺などを披露し東洋の珍しい演劇として話題集めたニューヨークでは、アルフォンス・ドーデ原作の『サッフォー』を日本版翻案した芝居演じた。これは、近く劇場イギリス女優オルガ・ネザソール(Olga Nethersole)が『サッフォー』(en)を演じたところ、猥褻理由ニューヨーク悪徳弾圧協会ニューヨーク母親クラブなどから非難を受け、逮捕されるという事件が起こったことを受け、この騒ぎ利用して話題集めるために音二郎急遽一晩作り上げたもの(?)。ネザソール版と逆に純愛話に仕立てたところ、ネザソールを弾圧した人々から賞賛を受け、それまで3日かかったのと同じ数のチケット1日売れた貞奴貴婦人協会招かれ女優クラブ名誉会員選ばれた。第一回海外巡業については、井上理恵著『川上音二郎貞奴 2 世界を巡演する』(社会評論社2015年)に詳しい。 1900年明治33年)には、日本通知られるロンドンアーサー・ディオシー歓迎を受け、彼の友人舞踏家ロイ・フラー女優サラ・ベルナール紹介されフラー支援受けて パリ万博公演し米国興行続いて人気博した翌年、いったん帰国したあと、再びヨーロッパ渡り1902年帰国した欧米巡業中、1902年明治35年11月1日大日本帝国俳優として初め勲章授与されるフランス大統領エミール・ルーベより官邸エリゼ宮殿にて、オフシェー・ド・アカデミー三等勲章(現・芸術文化勲章)を授与。オフシェー叙勲外国人贈られる最高章を授章した。 1903年日本初めてのセリフ劇オセロ』を日本バージョン上演する以後『ハムレット』ヴェニスの商人』などを積極的に上演し歌舞音曲のない演劇日本定着させようとした。川上は「新派の祖」ではなく、「日本近代演劇の祖」という存在になる。(井上著『川上音二郎貞奴ストレートプレイ登場する』(2018年)に詳しい) 1908年明治41年興行師として成功し現在の大阪市中央区北浜四丁目洋風劇場帝国座開場する同時に帝国女優養成所創設また、1910年明治43年)には博多区千代洋風劇場の「博多座」(初代)建設している(詳細不明)。 1911年明治44年)、急性腹膜炎により11月4日から昏睡状態となり、11月11日貞奴願いにより運ばれ帝国座舞台上で死去享年48。「汽車眺められるところに」という音二郎遺言により、当時博多駅近くにあった承天寺葬られる

※この「海外興行・翻訳劇」の解説は、「川上音二郎」の解説の一部です。
「海外興行・翻訳劇」を含む「川上音二郎」の記事については、「川上音二郎」の概要を参照ください。

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