海外耐久レースの開発
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/15 08:42 UTC 版)
「マツダ・10A型エンジン」の記事における「海外耐久レースの開発」の解説
耐久レースとしては、ツーリングカーの世界選手権に参戦することでREのみならず、マツダ車としての優秀性をアピールした。 1968年REの可能性を追及するため、ドイツのニュルブルクリンクで開催される過酷な「マラソン・デ・ラ・ルート84時間耐久レース」に2台のコスモスポーツで参戦。レギュレーション上大幅な改造ができなかったが、吸気ポートにペリとサイドのコンビネーションポートを使用。低速ではサイド/高速ではペリとシャッターバルブで、ウエーバタイプのサイドドラフトのキャブレタからの混合気を切り替える方式を採用して130 仏馬力PS/7,000 rpmの出力を得た。初出場にもかかわらず 2台中1台が総合4位に入賞した(もう1台は81時間目にアクスルトラブルでリタイヤ)。エンジンに関するトラブルが発生しなかったので、REの優秀性を実証することに成功した。 1969年ファミリアロータリクーペ(R100)によるヨーロッパ・ツーリングカー・レースへの参戦を開始。エンジンは、前期コスモスポーツのオールアルミエンジンをベースにペリフェラルポートでの開発を実施。キャブレタは、ダウンドラフトのウエーバー[要曖昧さ回避]・キャブレタに変更。ダウンドラフトを採用したのは、REの幅がレシプロエンジンより広いため、幅の狭いファミリアでは、サイドドラフトキャブが搭載できなかったことと、排気パイプの真上にキャブレタを設置するため、排気パイプからの熱害を防止するためである。以降のレーシングREにおいては、ダウンドラフトキャブレタが標準装備となる。 4月: 195 PS/9,000 rpmのエンジンを搭載してシンガポールGPに参戦して強力なライバルが参戦していなかったので快勝した。予選で、排気抵抗の少ないメガフォンマフラをトライするが、RE特有の激しい排気音の共振でクラックが入り、本番では高熱に強いステンレスのストレートパイプ2本で走行。 7月: スパ・フランコルシャン24時間レースでは、エンジンの耐久性を重視して、187 PS/8,500 rpmで2台参戦。補機関連のトラブルが発生したが総合5、6位入賞を獲得。 8月: マラソン・デ・ラ・ルート84時間耐久レースでは、24時間レースよりさらに耐久性を重視して、178 PS/8,000 rpmで3台参戦。燃料タンクの穴あきや雨中走行中のコースアウトで2台リタイアとなった。残る1台は、雨中走行中の雨水によるサーマルショックのため排気パイプにヒビが入り、排気音が大きくなり注意を受ける。排気音の注意を受けると、ヒビの入ったロータ側のメインジェットを塞ぎシングルロータで走行し隙をみてツインロータに戻し、注意されるとシングルロータにするという作業を繰り返し総合5位を獲得した。 1970年前年に引き続き、ヨーロッパ・ツーリング・カー・レースの2レース参戦とプライベータのミッドシップマシンのシェブロン・B16への搭載支援を行い、REのミッドシップ化の技術を習得した。シェブロン・B16は、ル・マン24時間レースに参戦するが、リタイヤとなる。なおこのマシンは、映画「栄光のルマン」に登場している。 6月: RACツーリスト・トロフィ・4時間レース(2×2ヒート)に参戦。このレースは、2ヒート制で2時間走行後1時間休息して2時間走行するというマツダにとっては、ヨーロッパで初のスプリントレース。結果は8位。 7月: スパ・フランコルシャン24時間レースでは、4台参戦。12時間後には、トップに立つが残り4時間でエンジンから異音がしてリタイヤ。最終的には、総合5位入賞を果たす。エンジン内部の固定ギアのトラブルが原因のリタイヤで以後のREの開発では、固定ギアの耐久性確保が重要な命題となった。
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