本草家としての活動
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/06 02:55 UTC 版)
早くから本草学方面へ興味を持ち、田村藍水門下に学んだ。宝暦7年(1757年)の田村一門の物産会に参加。 宝暦13年(1763年)、平賀源内発行の『物類品隲』(ぶつるいひんしつ)の校閲をしている。 宝暦14年(1764年)の源内による火浣布創製、明和2年(1765年)の寒暖計にも協力した。 安永5年(1776年)、博物学者ツンベリーが来都した際に医学と植物標本作成法についての教えを受けている。
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