坪井信道とは? わかりやすく解説

つぼい‐しんどう〔つぼゐシンダウ〕【坪井信道】

読み方:つぼいしんどう

[1795〜1848]江戸後期蘭方医美濃の人。名は道。号、誠軒など。江戸で開業後、萩藩侍医門下緒方洪庵川本幸民らがいる。著「診候大概」など。


坪井信道

読み方つぼい しんどう

江戸後期医者美濃生。名は道、号は誠軒。江戸出て赤貧の中、宇田川玄真門下援助を受けつつ西洋医術修める深川開業したところ治療請う者が絶えず、また学塾日習堂には多く門弟集まった。その学識篤行により長州萩藩毛利家侍医召される門下緒方洪庵杉田成郷・黒田安らがいる。伊東玄朴戸塚静海並んで三大蘭方医称された。嘉永元年(1848)歿、54才。贈正五位

坪井信道

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/11/25 16:03 UTC 版)

坪井 信道
(つぼい しんどう)
生誕 寛政7年1月2日1795年2月20日
日本 美濃国池田郡脛永村
死没 (1848-12-03) 1848年12月3日(53歳没)
日本
研究分野 蘭医学
研究機関 安懐堂
日習堂
補足
旧暦での没年月日は嘉永元年11月8日
プロジェクト:人物伝
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坪井 信道(つぼい しんどう、寛政7年1月2日1795年2月20日〉 - 嘉永元年11月8日1848年12月3日〉)は、江戸時代後期の蘭医。父は坪井信行。家伝に岐阜中納言織田秀信の5世の孫、織田信長の7世の孫とされる。

美濃国池田郡脛永村(現・岐阜県揖斐郡揖斐川町)出身。幼くして両親を亡くし、各地を巡ってはじめは東洋医学を学んだが、文政3年(1820年)に江戸へ出て宇田川榛斎蘭方医学を学んだ。文政12年(1829年)江戸深川に安懐堂、天保3年(1832年)江戸冬木町に日習堂という家塾を開いた。天保8年(1837年)には長州藩藩医に登用された。墓所は染井霊園

著書に『診侯大概』[1]、翻訳書に『製煉発蒙』[2]、『万病治準』[3]、『扶歇蘭杜神経熱論』がある。実子に二世信道となった信友、養子に幕府奥医師信良がある。門下生には、緒方洪庵青木周弼川本幸民杉田成卿黒川良安桑田立斎らがいる[4]

大正4年(1915年)、正五位を追贈された[5]

家族・親族

参考文献

脚注

  1. ^ わが国初の本格的な診断学書である「診候大概」”. 2023年12月21日閲覧。
  2. ^ 坪井信道著の『製煉発蒙』らの諸知識が洪庵の学問の血肉となっていることは当然である。”. 2023年12月22日閲覧。
  3. ^ 坪井信道訳 万病治準”. 2023年12月22日閲覧。
  4. ^ 藤井尚久 編『医学文化年表』384頁,日新書院,昭和17. 国立国会図書館デジタルコレクション
  5. ^ 田尻佐 編『贈位諸賢伝 増補版 上』(近藤出版社、1975年)特旨贈位年表 p.37
  6. ^ 坪井為春コトバンク
  7. ^ a b 米沢市出身の医師、坪井為春(つぼいいしゅん)について知りたいレファレンス協同データベース、2011年03月23日
  8. ^ 坪井為春(つぼいいしゅん/ためはる)谷中・桜木・上野公園路地裏徹底ツアー
  9. ^ a b 醫學博士坪井次郞君小傳 中外医事新報. (561)(日本医史会, 1903-08)
  10. ^ a b c d e f 原著--衛生学者坪井次郎の経歴と業績 / 泉彪之助日本医史学雑誌 = Journal of the Japanese Society for the History of Medicine. 38(3)(1467)(日本医史学会, 1992-09)
  11. ^ 坪井家旧蔵本の洋学資料静脩 : 京都大学附属図書館報. 31 (2) (114)(京都大学, 1994-09-30)
  12. ^ 国際プロジェクト・ビジネス著者紹介紀伊国屋書店
  13. ^ 河合栄之助コトバンク



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