秦鼎とは? わかりやすく解説

秦鼎

読み方はた かなえ

江戸後期漢学者尾張名古屋藩儒。尾張生。字は士(子)鉉、通称は嘉奈衛、号は滄浪・小翁等。家学継いで徂徠学奉じ、また細井平洲に学ぶ。藩校明倫堂典籍となり、教授並となる。門下坪井信道山本梅逸浦上春琴ら。天保2年(1831)歿、71才。

秦鼎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/08/03 02:23 UTC 版)

秦 鼎(はた かなえ、1761年5月12日宝暦11年4月8日) - 1831年8月8日天保2年7月1日[1])は、江戸時代漢学者。字は士鉉。通称、嘉奈衞。滄浪、小翁、夢仙と号した。父は刈谷藩の儒者の秦峨眉。

美濃の人。父に従い家学を承け、さらに細井平洲に学ぶ。尾張藩藩校明倫堂の教授として活躍した。校勘に優れ、『春秋左氏伝校本』『国語定本』『世説箋本』などが、世に行われている。また、詩文を善し、能筆の誉れも高かった。しかし、その博識と驕慢は、毀誉褒貶を招き、やがて失脚した。天保2年(1831年)、71歳で死去した。

脚注

  1. ^ 『国書人名辞典 第4巻』岩波書店、1998年、p.35。

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