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山本梅逸


山本梅逸

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/31 06:19 UTC 版)

山本 梅逸(やまもと ばいいつ、天明3年10月20日1783年11月14日)- 安政3年1月2日1856年2月7日))は、江戸時代後期の文人画家名古屋の生まれで、尾張南画の代表的画家。本名を亮、は親亮、を明卿。卯年生まれに因み、通称を卯年吉(うねきち)。画号は春園・竹厳・梅佚、のちに梅逸とした。別号に梅華道人・玉禅・天道外史・葵園・友竹艸居・白梅居など。


  1. ^ 「伊藤篤太郎資料三」(星野(2013)p.42)。
  2. ^ 本名は直秀。初め狩野派の門にあったが、後に風俗画駒新(駒屋新兵衛)に師事、浮世絵を描いた。90余歳まで生きたというが、生没年は定かでない。
  3. ^ 「尾張南画中興の祖」と呼ばれる山田宮常(1747年 - 1793年)を師とする説もある。しかし、宮常の没年は梅逸11歳の若年である事から可能性は薄く、仮に師事することはあってもごく短期間だったと思われる。おそらく、宮常が竹洞の初めての師であり、当時の尾張南画における中心人物であったことから負荷された説であろう。
  4. ^ 王冕「墨梅図」は李衎(りかん)「竹石図」とともに織田信秀から万松寺に寄進され伝世したもので、明治13年には皇室に献上され現在三の丸尚蔵館に収蔵されている。「皇室の名宝-美と伝統の精華」NHK 1999年
  5. ^ 『笑社論集』(文人画研究会 2021年)13頁参照。
  6. ^ 天保9年(1839年)版「平安人物誌」に画家として初登場し10年後の嘉永5年版では中林竹洞・小田海仙についで3番目の順位に挙げられている。
  7. ^ 『清娯帖 梅逸の茶会図案集』 文人画研究会、2008年9月9日。
  8. ^ 『笑社論集』(文人画研究会、2021年9月26日)所収。
  9. ^ 千種区史跡散策路”. 名古屋市千種区. 2021年3月16日閲覧。
  10. ^ 名古屋市博物館編集 『名古屋400年のあゆみ』 「名古屋400年のあゆみ」実行委員会(名古屋市博物館・毎日新聞社)、2010年1月8日、p.64。
  11. ^ マシュー・フィリップ・マッケルウェイ 「山本梅逸筆 嵐山高雄図屏風」『国華』第1401号「特輯ファインバーグ・コレクション」、国華社、2013年5月20日、pp.46-47。
  12. ^ 平山郁夫 小林忠編集 『秘蔵日本美術大観 十二 ヨーロッパ蒐蔵日本美術選』 講談社、1994年11月25日、図17,pp.52-54、ISBN 4-06-250712-9
  13. ^ a b 小林忠 サムエル・C.モース監修 『アメリカから来た日本─クラーク財団日本美術コレクション─』日本経済新聞社、2002年、pp.150-152。
  14. ^ 東京国立博物館 九州国立博物館 クリーブランド美術館ほか編集 『クリーブランド美術館展―名画でたどる日本の美』 NHK NHKプロモーション 朝日新聞社、2014年1月15日、pp.66-67,149。


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