桶峡弔古碑
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/11 00:16 UTC 版)
「桶狭間の戦いの戦場に関する議論」の記事における「桶峡弔古碑」の解説
桶峡弔古碑(おけはざまちょうこひ)は、桶狭間古戦場伝説地のうち公園内にあって、1809年(文化6年)に津島の神官であった氷室豊長(ひむろ とよなが)が建立した石碑である。表面では「桶狭間の戦い」を回顧する文と往時を偲んで捧げた詩で、撰文は尾張藩の儒学者であった秦鼎(はた かなえ)、揮毫は尾張藩大坂蔵屋敷奉行であった中西融(なかにし とおる)。裏面では荒廃する古戦場のありさまを見かねて建碑に至ったという趣旨などが記されている。なお、碑文中には建碑年として「文化己巳夏五月」とあるが、当時出回っていた碑文の刷り物では「文化十三年己巳夏五月」(1816年)となぜか改竄されて記載されており、この刷り物を引用したと思われる『尾張名所図会』から『豊明町々誌』に至るまで、この「文化十三年己巳夏五月」がそのまま引用されている。
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