陸遜
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陸 遜(りく そん)は、中国の後漢・三国時代の武将・政治家。もとの名は議。字は伯言(はくげん)。諡は昭侯(しょうこう)。陸続の玄孫。陸褒の曾孫。城門校尉陸紆の孫。九江郡都尉陸駿の子。弟に陸瑁。姉妹に顧邵妻・姚信母。子に陸延・陸抗。孫に陸機・陸雲など。
注釈
出典
- ^ 陸雲の「呉故丞相陸公誄」によると、「呉故使持節、郢州牧、左都護、丞相、江陵郡侯陸公薨」
- ^ 『陸氏譜』と唐代の『元和姓纂』によると、呉郡陸氏は前漢の陸賈の後裔と記されているが、真偽の程は不詳である。
- ^ 『三国志』呉志 陸績伝
- ^ 『三国志』呉志 顧雍伝と『呉録』によると、のちに陸績は鬱林太守、顧邵は豫章太守、陸遜は丞相、張敦は海昏県令、吾粲は太子太傅、卜静は剡県県令になったという。
- ^ 『世説新語』の注に引く『呉書』では、「遜字伯言,呉郡人,世為冠族。初領海昌令,號神君,累遷丞相」神君は賢明な官吏に対する呼び方。
- ^ 『三国志』呉志 賀斉伝
- ^ 川合安「六朝の帳下について」『東洋史研究』第48巻第2号、東洋史研究會、1989年9月30日、300-323頁、CRID 1390853649764344320、doi:10.14989/154273、hdl:2433/154273、ISSN 0386-9059。
- ^ 『呉書』によると、孫権は陸遜の手柄と人徳に報いるために、上将軍とし列侯としたという。
- ^ 『三国志』呉志 呂範伝
- ^ 『呉録』
- ^ 『建康実録』
- ^ a b c d e 『三国志』呉志 呉主伝
- ^ 上大将軍は呉に創建して、地位は三公の上位とされた。
- ^ 豫章郡・鄱陽郡・廬陵郡
- ^ 『三国志』呉志 呉主伝。呉志 陸遜伝では嘉禾5年(236年)。
- ^ 『三国志』呉志 陳武伝
- ^ 『呉録』に異説があり、楊竺がひそかに孫覇の立嫡を積極的に勧め、孫権は同意したが、密談の内容が孫和に知られていた。懼れた孫和が、陸胤を通して武昌の陸遜に助けを求めた。このため陸遜は上表して孫権を諫めた。孫権が密談の内容を漏らした者を探そうとしたところ、陸胤は孫和を庇おうとして、楊竺が密談を漏らしたと誣告した。結局楊竺は陸胤とともに収監されてしまった。楊竺は厳しい取り調べに堪え切れず自分が漏らしたと答えたため処刑されたという事になっている。
- ^ 『建康実録』
- ^ 『太平御覧』巻574引『呉書』によれば、「陸遜破曹休。上與群僚大會,酒酣,命遜舞,解所著白鼯子裘賜之」
- ^ 『太平御覧』巻694によれば、「陸遜破曹休,上為郡僚大會酒,與遜對舞」
- ^ 『太平御覧』巻686引『呉書』によれば、「陸遜破曹休於石亭,還,上脱翠帽以遺遜」
- ^ 『太平御覧』巻696引『呉書』によれば、「陸遜破曹休於石亭,上脱御金校帯以賜遜,又親以帯之」
- ^ 『太平御覧』巻770引『呉書』によれば「陸遜破曹休,当還西陵,公卿並為祖道,上賜御船一舫,繒彩舟也」
- ^ 『太平御覧』巻814注引『呉書』「陸遜破曹休,当還西陵,上賜遜繒彩、丹漆」
- ^ 『太平広記』巻173
- ^ 『世説新語・規箴』
- ^ 名臣20選には、荀彧、荀攸、袁渙、崔琰、徐邈、陳羣、夏侯玄、王経、陳泰(以上魏)、諸葛亮、龐統、蔣琬、黄権(以上蜀)、周瑜、張昭、魯粛、諸葛瑾、陸遜、顧雍、虞翻(以上呉)を選出している。
- ^ 陸遜は「伯言蹇蹇 以道佐世 出能勤功 入能獻替 謀寧社稷 解紛挫鋭 正以招疑 忠而獲戻」と謳われている。
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