両軍の戦力についてとは? わかりやすく解説

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両軍の戦力について

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/05 09:22 UTC 版)

夷陵の戦い」の記事における「両軍の戦力について」の解説

この戦い参加した呉軍兵力は、陸遜伝に5万明記されているが、蜀軍については、本文中には大軍」とあるだけで明記されていない。『資治通鑑』では蜀軍全軍を4万余人、それに加え蜀に与した荊州異民族である。 先主伝によると「222年正月先主秭帰駐留し呉班陳式水軍夷陵駐屯した」とあり、また「2月先主秭帰から諸将率いて軍を進めて猇亭に駐営した」と記述されている。文帝紀の註(『魏書』)には、222年2月8日に「劉備の支党4万人と馬2・3千頭秭帰出てきました」という孫権からの上書が載せられている。 また蜀軍被害は、「斬首したり投降してきたりした者は数万のぼった」(呉主伝)、「その死者数えた」(陸遜伝)、「陸議陸遜の元の名)はその兵8万余人を殺し」(劉曄伝註(『傅子』))とある。

※この「両軍の戦力について」の解説は、「夷陵の戦い」の解説の一部です。
「両軍の戦力について」を含む「夷陵の戦い」の記事については、「夷陵の戦い」の概要を参照ください。

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