両軍の損失
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/03/31 08:11 UTC 版)
「アッサンピンク・クリークの戦い」の記事における「両軍の損失」の解説
ハワード・ペッカムが、1月2日の2つの交戦を記録していたが、どちらも「小競り合い」に分類している。ファイブ・マイルズ・ランでの最初の交戦は、アメリカ側の損失がなかったと記している。ストックトン・ホロウの2度目の交戦では、アメリカ軍全体で死者1人、負傷10人、脱走1人としている。一方ウィリアム・S・ストライカーは、1月2日のアメリカ軍は死者1人、負傷6人と伝えている。またデビッド・ハケット・フィッシャーは、戦死傷者は100人と記している。 ペッカムは、ファイブ・マイルズ・ランのイギリスの損失は、ドイツ兵が1人、そしてストックトン・ホロウでは「最低でも」10人戦死、20人負傷そして25人が捕虜となったと記している。エドワード・J・ロウエルは、1月2日にドイツ兵が4人戦死、11人負傷と伝えている。フィッシャーは、イギリス側は戦死、負傷、捕虜を併せて365人としている。
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