両軍の戦力
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「ヴィクトリアス」が6月にインド洋へと送られたため、マスコット作戦参加空母には「インディファティガブル」、「フォーミダブル」、「フューリアス」が選ばれた。空母の護衛は戦艦「デューク・オブ・ヨーク」、巡洋艦4隻、駆逐艦12隻であった。この部隊はヘンリー・ムーア大将が「デューク・オブ・ヨーク」から指揮し、空母部隊は「インディファティガブル」座乗のRhoderick McGrigor少将が指揮した。 打撃部隊の構成は、これより前の「ティルピッツ」攻撃作戦とおおむね同じであった。「フォーミダブル」はそれぞれバラクーダ12機からなる第827および第830海軍飛行隊と第1841海軍飛行隊のコルセア18機を搭載。「インディファティガブル」は第820および第826海軍飛行隊のバラクーダ24機と、シーファイアからなる第894海軍飛行隊、第1770海軍飛行隊のファイアフライ12機を搭載。前回の作戦とは役割の変わった「フューリアス」はバラクーダは搭載せず、第1840海軍飛行隊のヘルキャット20機と第880飛行隊のシーファイア3機および第842小隊のソードフィッシュ3機を搭載した。 カーフィヨルドの防備はタングステン作戦後に改善された。それ以前は対空砲台が11箇所、防空艦が数隻と「ティルピッツ」を隠すための煙幕発生装置からなっていた。攻撃後は追加のレーダーや監視所が設けられ、戦艦周辺の煙幕発生装置も増やされた。マスコット作戦までになされた防備の改善にはカーフィヨルド近くの崖の上の監視所があり、それは必要があれば戦艦の対空砲を管制することができた。「ティルピッツ」の防空能力も修理の際に強化され、20mm機銃の追加や150mm砲の対空用への改修、主砲用の対空用砲弾の供給がなされた。 カーフィヨルド周辺のドイツ軍以外でも、ヤンマイエン島周辺にはTrutzグループと称する12隻の潜水艦による哨戒線が作られ、ノルウェー海へ進入を図るイギリス空母に対する迎撃任務についた。マスコット作戦時に展開中であった潜水艦は「U347」、「U361」、「U365」、「U387」、「U636」、「U716」、「U742」、「U921」、「U956」、「U965」、「U992」、「U995」であった。ドイツ空軍はカーフィヨルド付近の基地に少数の戦闘機を配備してたが、その活動は燃料不足のため制限されていた。
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両軍の戦力
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「ソルフェリーノの戦い」の記事における「両軍の戦力」の解説
フランス・サルデーニャ連合軍 兵力 - 118,600名(デュナンに拠れば150,000名) 砲 - 約400門 中央、右翼をフランス軍が占め、サルデーニャ軍は左翼についていた。なお、フランス軍は新式のライフル砲を装備していた。これは従来の滑腔砲に比べて射程と命中率に優れていた。 オーストリア軍 兵力 - 約100,000名(デュナンに拠れば170,000名) 砲 - 約500門 ソルフェリーノを中心に、北はガルダ湖、南はメードレまで至る戦線を展開していた。攻防の焦点となるソルフェリーノは、小高い丘の上に存在する町で、城と塔を擁する要衝であった。オーストリア軍は効率的な砲撃が加えられるように、丘陵を利用して砲兵を配置していた。
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両軍の戦力
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「第三次ハリコフ攻防戦」の記事における「両軍の戦力」の解説
1943年1月13日から4月3日にかけて、ソ連軍では推定約500,000名がヴォロネジ=ハリコフ攻勢として知られる作戦に参加していた。東部戦線全体では6,100,000名が従軍していたが、659,000名が負傷のため戦闘不能であった。一方ドイツ軍では東部戦線全体で2,200,000名が従軍しており、またノルウェーに100,000名の兵士が駐屯していた。2月初め、ソ連軍はドイツ軍と比較して2倍以上の兵員を展開していた。しかし、この戦いの間の戦線の拡大と損害の増加により、マンシュタインによる反撃が始まった時、ドイツは局地的に数の優位を活かすことができた。例として戦車の数を比較するとドイツ軍の戦車は350輌、ソ連軍に比べて7対1で勝っており、物資と燃料の補給もドイツ軍の方が良好だった。
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両軍の戦力
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この戦闘に参加した両軍の戦力、および布陣は以下のようなものである。 カルタゴ軍 歩兵 - 約30,000 騎兵 - 約10,000 戦象 - 3頭 カルタゴ軍は最前列に戦象を置き、その後方に歩兵戦列を展開した。歩兵戦列は、中央がガリア歩兵、両翼には古参のリビア、ヒスパニア歩兵がついた。歩兵戦列の両翼には騎兵を二分して配置した。また、ハンニバルは戦闘の前夜、弟のマゴに2,000(騎兵1,000、軽装歩兵1,000)の分遣隊を与え、川沿いの林の中(あるいは丘陵の上)に埋伏させた。 ローマ軍 歩兵 - 約36,000(ローマ軍16,000、同盟都市軍20,000) 騎兵 - 約4,000 ローマ軍は最前面に軽装歩兵を展開させ、その後方に3列の歩兵戦列を展開、両翼に騎兵を配置する通常の戦闘隊形をとった(ローマ軍団を参照)。ただし後述するように、ローマ軍はカルタゴ軍の誘引策によって、態勢の整わないうちに野営地から出撃することを余儀なくされた。このため、完全な戦闘隊形は組めなかったと考えられる。
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両軍の戦力
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1945年中頃でもトラックの日本軍の規模は大きかったが、攻勢を行う能力は失われていた。5月時点で日本軍の守備隊は麦倉俊三郎中将指揮下の陸軍13,600名と原忠一中将指揮下の海軍10,600名であった。多くの沿岸砲台や対空砲があったが艦艇は存在せず少数の航空機のみが存在した。レーダーにより来襲する敵に対する警報が発せられた。連合国軍による爆撃が始まる前の段階でも日本軍はトラックの防空は不十分であると考えていた。 1944年9月のパラオ失陥後はトラックには増援や補給物資を運ぶ船舶はほとんど訪れなかった。インメイト作戦時には飢えた虚弱者になっていたと歴史家David Hobbsは記している。1944年中頃以降の守備隊の活動の中心は自分たちのための食料の生産であった。その活動は、熱帯の気候条件や空襲による被害のため困難であった。大半の日本人は栄養失調の状態であった。それにもかかわらず、日本軍は侵攻に備えて広範囲にわたる対策をしており、また大量の食料や補給物資を備蓄していた。戦争終結後の1945年8月に、その時点でも日本軍は砲台が少なくとも30日間戦闘を行えるだけの弾薬を有していたことをアメリカ軍が確認している。 イギリス太平洋艦隊のトラック攻撃部隊である第111.2任務群は第4巡洋艦戦隊と第24駆逐群から構成されていた。第4巡洋艦戦隊は空母「インプラカブル」、護衛空母「ルーラー」、巡洋艦「スウィフトシュア」、「ニューファンドランド」、「ウガンダ」、「アキリーズ」からなり、第24駆逐群は駆逐艦「トラウブリッジ」、「ティーザー」、「テネイシャス」、「ターマガント」、「タープシコリ」からなっていた。任務郡の指揮官は「インプラカブル」座乗のE・J・P・Brind少将であった。「インプラカブル」、「ニューファンドランド」と駆逐艦は太平洋にやってきたばかりであったが、それ以外の艦艇は沖縄沖での戦闘に参加していた。インメイト作戦以前に「インプラカブル」が参加した戦闘でもっとも最近のものは1944年後半に行われたノルウェーのドイツ軍に対する航空攻撃であった。 「インプラカブル」は80機を搭載しており、これはイギリス太平洋艦隊の空母の中で最大であった。搭載する部隊はスーパーマリン シーファイア48機を装備する第38海軍航空群第801海軍飛行隊と第880海軍飛行隊、TBFアヴェンジャー雷撃機21機を装備する第828海軍飛行隊およびフェアリー ファイアフライ戦闘機11機を装備する第1771海軍飛行隊であった「ルーラー」は「インプラカブル」の航空部隊用の予備であり、第1701海軍飛行隊のスーパーマリン ウォーラス救難機1機のみを搭載していた。
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