両軍の戦争準備
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/15 06:22 UTC 版)
ユスティニアヌス帝は最も信頼し、かつ有能な将軍であるベリサリウスを遠征軍の司令官に任命し、参謀として宦官のソロモン (en) を付けた。ベリサリウスの顧問にはカイサリア(パレスチナの古代都市)出身のプロコピオスがおり、後に彼がこの戦争の記録を二巻の本にまとめることになる。プロコピオスの記述によれば、人々の間には468年の破局の記憶が残っており、東方道管区長官 (en) のカッパドキアのヨハネス (en) を含む大臣たちの多くが遠征に反対し、ユスティニアヌス帝を説得しようとしたという。一方で、ヴァンダル族を異端と考える聖職者たちはこの遠征を熱心に支持した。 ヴァンダル族戦士の勇猛さを恐れる世評にも関わらず、遠征軍は驚くほど小規模だった。5万人の兵力を有し、動員時には16万人にもなるヴァンダル軍に対して、東ローマ帝国の遠征軍はローマ人歩兵10,000と同盟部族(Foederati)の騎兵5,000からなる15,000に過ぎず、これにはベリサリウスの私兵であるブケライオス軍(bucellarii)のローマ人および同盟部族の騎兵3,000そしてフン族400人とヘルール族600人の騎馬弓兵が含まれている。遠征軍は92隻の戦艦(デュロモイ)に護衛された500隻の船団で輸送される。 この時のヴァンダル王国はトリポリタニアとサルデーニャでの反乱に直面していた。トリポリタニアの反乱は東ローマ軍に支援されており、アフリカにおける東ローマ軍の橋頭堡になる恐れがあったが、恐らくは遠隔地であったため、ゲリメルはこれに対する十分な対処をしなかった。ゲリメルは王弟ツァツォンに120隻の艦隊と兵5,000を与えサルデーニャ長官ゴダスの反乱を鎮圧するために派遣した。 東ローマ艦隊の出帆の前に、ユスティニアヌス帝はイタリアの東ゴート王国の女王アマラスンタからの協力を取り付け、シチリアの港の利用を許可させた。遠征艦隊は6月にコンスタンティノープルを出港し、時間をかけて航海をした。艦隊がシチリアに到着した時、ローマ人たちにとって非常に幸いなことに、ヴァンダル海軍の主力がサルデーニャへ去っていたことが判明したとプロコピオスは述べている。
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