両軍の展開
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/08/02 15:49 UTC 版)
連合軍はプロイセン軍の倍以上という兵力ではあったが、正面決戦ではなくプロイセン軍の側面を集中攻撃するために縦隊で機動していた。当初、ロスバッハ村の建物屋上からこの一見遠ざかる行軍を見ていたフリードリヒ大王は、連合軍は物資補給の為に撤退しているものだと判断していた。しばらくして、大王の休憩時の交代として監視を任されていたプロイセン軍大尉が、連合軍は撤退しているのではなく丘陵の起伏を利用して側面を包囲しようとしていることに気付き、急ぎ大王に報告した。大王は即座に自軍を進軍させ高地に大砲を配置させるとともに、フリードリヒ・ヴィルヘルム・フォン・ザイトリッツ将軍率いるプロイセン軍重騎兵に連合軍の縦隊先頭に対して攻撃を行うように命令した。
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両軍の展開
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/31 14:48 UTC 版)
ダウンは、この戦争での彼の戦法が常にそうだったように、丘の上に陣取って相手の攻撃を待つことを主張した。しかし倍近い兵力を有しながら受け身に回ることをカール公子は拒否し、フリードリヒ大王に応じて決戦のためブレスラウ西方ロイテンに進出した。ブレスラウに向かう街道が東西に走っており、オーストリア軍はこれを分断するように南北方向に細長く布陣した。 プロイセン軍もこれに合わせるように西から戦場に進入したが、これは陽動であった。フリードリヒ大王はここで有名な斜行戦術を行使した。
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