両軍の対峙とは? わかりやすく解説

両軍の対峙

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/10 05:36 UTC 版)

保元の乱」の記事における「両軍の対峙」の解説

10日の晩頭、頼長が宇治から上洛して白河北殿入った謀反人烙印押された頼長は、挙兵正当性を得るために崇徳を担ぐことを決意したと見られる白河北殿には貴族では崇徳側近である藤原教長頼長の母方の縁者である藤原盛憲・経憲の兄弟武士では平家弘源為国源為義平忠正清盛叔父)・源頼憲などが集結する。武士崇徳従者である家弘・為国を除くと、為義と忠正が忠実家人、頼憲が摂関家多田荘荘官いずれも忠実・頼長と主従関係にあった崇徳陣営武士摂関家私兵集団限定され兵力甚だ弱小劣勢明白だった崇徳今は亡き忠盛重仁親王後見だったことから、清盛味方になることに一縷の望みをかけたが、重仁の乳母池禅尼崇徳方の敗北予測して、子の頼盛に清盛協力することを命じた『愚管抄』)。白河北殿では軍議開かれ源為義高松殿への夜襲献策する。頼長はこれを斥けて信実率い興福寺悪僧集団など大和からの援軍を待つことに決した。 これに対して後白河守仁陣営も、崇徳上皇動きを「これ日来風聞、すでに露顕する所なり」(『兵範記7月10日条)として武士動員する高松殿は警備していた源義朝源義康加え平清盛源頼政源重成源季実平信兼・平維繁が続々召集され、「軍、雲霞如し」(『兵範記7月10日条)と軍兵埋め尽くされた。同日、忠通・基実父子も参入している。なお『愚管抄』『保元物語』帝王編年記』には公卿次々参内したと記されているが、『兵範記7月11日条には「公卿ならびに近将不参」とあり、旧頼長派の内大臣徳大寺実能軍勢出撃後に姿を現しただけである。大半公卿鳥羽法皇服喪口実出仕せず、情勢静観していたと推測される清盛義朝天皇御前呼び出され作戦奏上した後、出撃準備入った『愚管抄』によれば信西義朝先制攻撃強硬に主張したに対して、忠通が逡巡していたが押し切られたという。

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両軍の対峙

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/07/28 06:20 UTC 版)

ルビエシュフの戦い」の記事における「両軍の対峙」の解説

冬の寒さ春の雪解けの間、戦闘小康状態にあった。この時間利用してグダニスク市のマグナート4月ドイツ傭兵ハンス・ヴィンケルブルッフと契約した。ヴィンケルブルッフ軍がトチェフ近くのルビエシュフまで進軍してきた時、ポーランド軍ハンガリー人ワラキア人中心歩兵1000人と1300騎の騎兵かいなかった対す傭兵軍ランツクネヒト3100人、ライター騎兵400騎、そのほかの兵を合わせて1万から1万2000人の大軍であり、さらには7門の大砲ウォーワゴン載せた30門の軽砲持ってきていた。ヴィンケルブルッフ軍の接近知ったザボロウスキは、100人の歩兵トチェフ残して残り全軍でロキトキからモトワヴァ川を渡った。ヴィンケルブルッフはポーランド軍動き妨害するため200人の部隊送り出すとともに、こちらからもモトワヴァ川を渡ってポーランド軍側面攻撃をかけるように軍を動かした。ザボロウスキは騎兵2部隊を差し向けてこの敵の動き阻止しようとしたが失敗し、ヴィンケルブルッフ軍は渡河成功した左翼側から迫る敵を止められない知ったザボロウスキは、ロキトキの破壊した後、全軍西進しルビエシュフ湖のヴィンケルブルッフ軍の元に向かった

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