両軍の参戦武将
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/12 05:36 UTC 版)
羽柴軍(約5万0000)高山右近・木村重茲:2000 中川清秀:2500 池田恒興・池田元助・加藤光泰:5000 丹羽長秀:3000(秀吉本隊の中に入れる資料もある) 織田信孝:4000(秀吉本隊の中に入れる資料もある) 秀吉本隊(羽柴秀長・黒田孝高・蜂須賀正勝・堀秀政・中村一氏・堀尾吉晴・神子田正治・蜂屋頼隆・伊東祐兵など):30000 秀吉本隊中には他に直番衆として加藤清正、福島正則、大谷吉継、山内一豊、増田長盛、仙石秀久、田中吉政といった顔ぶれもいた。 『太閤記』による光秀軍の構成は、以下の通りである。 明智軍(約2万6000)美濃衆 斎藤利三・柴田勝定:2000 近江衆 阿閉貞征・溝尾茂朝(明智茂朝):3000 山城・丹波衆 松田政近・並河易家:2000 旧足利幕臣 伊勢貞興・諏訪盛直・御牧兼顕:2000 河内衆 津田正時:2000 光秀本隊(藤田行政など):15000 その他、小川祐忠、進士貞連、可児吉長、四王天政孝、津田信春(=津田平蔵とする説あり)などが参加していた。なお、明智五宿老のうち、光秀の従兄弟の明智光忠のみが、二条城攻撃時の負傷のため合戦に参加できなかった。
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