ばん‐しゅ【番衆】
ばん‐しゅう【番衆】
番衆
番衆
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/21 06:46 UTC 版)
石山本願寺の防衛軍として戦闘し、また日常の警備のため上番してくる門徒は「番衆」と呼ばれていた。この制度は山科本願寺時代より制度化され、石山本願寺時代に更に充実されている。堂舎の維持管理を行う「御堂番衆」と呼ばれる者もいたが、警備は番衆が行っており、石山本願寺の「大鼓番屋」(太鼓)と呼ばれる場所に詰めて平時でも300兵前後が常駐していた。「太鼓」という名称から、寺内町の合図や時刻を知らせるのも彼らの任務の一つであったと考えられている。弓矢、鑓などの武具は自ら用意し、食料も自弁する「自兵粮衆」、「自飯米衆」と別称で呼ばれていた。これらは個人で用意するのでなく国元から別送されている場合もあった。番衆は、宗主から元旦に挨拶をうける事になっており、弓持衆、鑓持衆、荷持衆に分かれていた。また「加賀十人組衆」、「加賀石川郡米富」、「河原十人衆」などが記録にみえ、加賀国では郡規模で組を編成して上番していたと思われる。平時の番衆は、「寺内町」や近所の法安寺で喧嘩がおこった時の仲裁や、土木工事にも従事していた。
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