番薯庄板仔橋
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/06/02 07:59 UTC 版)
1945年、終戦とともに国民政府が接収し、台糖の管理下になった。 1953年虎尾鎮籍雲林県の議員だった王玄正が県政府に鉄橋に歩道を併設することを提案、県政府と鎮公所が共同で資金23万ニュー台湾ドルを拠出し、翌1954年に右側(下流側)に木造橋が設置され列車と歩行者の往来を分離した。歩道は2-3人が通れる程度の幅だったが、虎尾渓両岸の交通の要衝となり、虎尾市街地と南岸の興南里、蕃薯・竹圍仔地区を結ぶハブ機能を担った。番薯庄板仔橋はこのときに発生した俗称。
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