両軍の動き
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/06/02 03:08 UTC 版)
10月11日、ハウ将軍はその軍隊をウェストチェスター郡に移動させた。ワシントンはこれに反応し、イギリス軍がマンハッタン島北部からの退路を遮断した場合に備えてやはりウェストチェスター郡に大陸軍を移動させた。ワシントンはロバート・マゴー大佐の指揮でワシントン砦に1,200名の守備隊を残した。ハウは大陸軍守備隊の動きを牽制するためにヒュー・パーシーの指揮で小部隊をハーレムハイツに残した。 10月27日朝、マゴーは歩哨からパーシーの部隊がハドソン川を遡ってきた2隻のイギリス・フリゲート艦に支援されて攻撃を掛けてきたことを知らされた。マゴーはフリゲート艦への攻撃開始を命じ、ワシントン砦とリー砦からの砲撃で2隻のフリゲート艦は大きな損傷を受けた。これらフリゲート艦は大陸軍の砦がある高さまで砲撃できるようにその大砲を上向きにすることができなかったので反撃できなかった。フリゲート艦は曳航されて去ったが、イギリス軍と大陸軍の砲兵隊の間では砲撃戦が続いた。マゴーはこの小さな成功のために自信過剰となり12月末まで包囲されても砦を守りきれると豪語していた。しかし11月2日、マゴーの副官であるウィリアム・デモンがイギリス軍側に脱走し、砦の詳細を全て漏らした。この情報がパーシーからハウに伝えられた。ハウは数日前の10月28日にホワイトプレインズの戦いで大陸軍を破ったばかりだった。
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