戦闘に向かう両軍の動き
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/02/26 23:05 UTC 版)
「プレーリーグローブの戦い」の記事における「戦闘に向かう両軍の動き」の解説
ハインドマンの軍はアーカンソー州フォートスミス (アーカンソー州)フォートスミスで集結し、ジョン・マーマデューク准将の指揮する約2,000名の騎兵を派遣して、ブラント軍に嫌がらせを行い、南軍本体の動きを遮蔽させた。 ブラントは5,000名の兵士と30門の大砲を前に出して、マーマデューク隊を迎え撃つという意外な行動に出た。両軍は11月28日にケーンヒルの戦いと呼ばれる、走りながらの9時間の戦闘で衝突した。マーマデューク隊が押し戻されたが、ブラント軍はアーカンソー州深く35マイル (56 km) 入っており、別働隊からさらに離れてしまった。 12月3日、ハインドマンはその本隊、あまり装備の良くない11,000名と大砲22門をボストン山地を超えて、ブラントの師団の方向に移動させ始めた。ブラントはその不安定な配置に憂慮し、ヘロンに電報を打って、即座にスプリングフィールドから支援に駆け付けるよう命じた。ブラントはミズーリ州の方へ後退しようとはしなかったが、ヘロン隊を待つためにケーンヒル周辺で防御的陣地を布いた。 ハインドマンの意図は、マーマデュークの騎兵隊が陽動攻撃として南からブラント軍を攻撃させることだった。一旦ブラント軍と交戦状態に入れば、ハインドマン軍本隊が東からその側面を衝くつもりだった。 12月7日夜明け、ハインドマンはケーンヒルに向かうという当初作戦に疑いを抱き始め、その代わりに北のコーブクリーク道路まで進み、マーマデューク隊を前面に出した。ハインドマンがなぜ判断を変えたかは不明だが、あらゆる将軍がそうであるように、ハインドマンも当初の戦略を疑い始めたのだと考えられている。しかし、この動きが有効であり、騎兵隊がミズーリ第7連隊やアーカンソー第2連隊に対して初期の一撃を加えられるか、ハインドマンが分かっていたわけではなかった。 一方、ヘロンの師団は驚くべき強行軍を行ってブラント軍の救援に向かい、アーカンソー州フェイエットビルの南で、マーマデュークの偵察騎兵に遭遇していた。 ハインドマンの攻撃的な性格はこの時点で失敗したように見えた。ブラントが背後を襲ってくる可能性を恐れ、北にはヘロン隊に直面した情勢で、ハインドマンはプレーリーグローブに近い低い丘陵線の上で、防御的陣地を構築させた。
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