戦闘による百人斬りは実際に行われたか
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/09 02:07 UTC 版)
「百人斬り競争」の記事における「戦闘による百人斬りは実際に行われたか」の解説
原告の主張 - 山本七平は著書「私の中の日本軍」で「日本刀は三人戦闘で斬れば使い物にならなくなる。だから100人も斬れるはずがないので100人斬り報道は虚偽である」と主張。原告もそれを引用して同様の主張をした。 被告(本多勝一)の主張 - 宮本武蔵や佐々木小次郎でもない一般人が百人も戦闘で斬れるはずがない。実際には両少尉は捕虜や農民を斬ったのであり、それを新聞記者にぼかして伝えたのだ。 裁判所の判断 - 南京攻略戦当時の戦闘の実態や両少尉の軍隊における任務、一本の日本刀の剛性ないし近代戦争における戦闘武器としての有用性等に照らしても、本件日日記事にある「百人斬り競争」の実体及びその殺傷数について、同記事の内容を信じることはできないのであって、同記事の「百人斬り」の戦闘戦果ははなはだ疑わしいものと考えるのが合理的である。 最終的に記事にならなかった当時現場にいた朝日新聞記者の取材記録では、まず、ほとんどは中国兵捕虜、その中に平民の捕虜も含まれていてどちらも捕虜を並ばせて、同じ刀で一度も交換せず連続して何名斬れるかの競争をした。2人が53~54名程ずつを斬った所で1名差で勝負がついて、合計して100人超を斬って死傷者が出たという内容である。その後、斬られた負傷者は治療経験の浅い若い軍医実習生達20名程に治療の練習をさせていたと書かれており、傷の程度には差はあるとしてもその後に治療されながら、大掛かりなものでは2晩かけて手術をして成功したという例もあった。なお、新聞社には政府への戦争協力体制があったため新聞社の意向によって、1人で50人では記事として勢いがなく冴えないとして最初の原稿では許可が下りず、戦時中の大本営記事を盛らなくてはならない為に、最終的には人数を2倍にして1人ずつ100人と誇大して勇猛さを喧伝して映える内容に書かれたとされる。また、死者が出ていたのは事実で取材記録には実際に3名程の記述があり、軽傷者や重傷者が多くいたとの記述もあるがそれ以外には記述はないため他は不明である。必ずしも百人斬り=百人全員を殺したという意味ではない。また別の観点からも、現実的に日本刀で本当に殺すために斬れば、2~3人も斬ったらどこかに必ずある骨に当たりボロボロになり使えなくなるため、死傷者を合わせた人数の可能性が高いとも考えられる。ただし、その100人斬りの生存者がいないことを考えればその後に捕虜達はどうなったかと言うと、その事実を知ってる人間への証拠隠滅か、そもそもが捕虜であるという考えのためそのような人が思想として類似性の見られエスカレートした形の、その3年後に行われた731部隊の捕虜として送られたか、結局は生きていないか殺された可能性の方が高いのではと考えられる。
※この「戦闘による百人斬りは実際に行われたか」の解説は、「百人斬り競争」の解説の一部です。
「戦闘による百人斬りは実際に行われたか」を含む「百人斬り競争」の記事については、「百人斬り競争」の概要を参照ください。
- 戦闘による百人斬りは実際に行われたかのページへのリンク