両軍の損害とは? わかりやすく解説

両軍の損害

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/28 03:05 UTC 版)

ギルバート諸島沖航空戦」の記事における「両軍の損害」の解説

日本側の戦果判定では、一連のギルバート諸島沖の航空戦による戦果空母だけでも8隻撃沈とされていた。同時期のブーゲンビル島沖航空戦戦果合わせると、アメリカ海軍空母はほぼ全滅状態に陥った計算になる。これらは大本営発表により報じられ12月6日には昭和天皇から古賀峯一連合艦隊司令長官へ勅語が発せられた。しかし、アメリカ側記録によると軽空母インディペンデンス」の損傷のほかは、目立った損害無かった日本側の戦果判定は、アメリカ側記録照らして著しく過大な事実誤認だったと考えられている。ただし、『戦史叢書』の『中部太平洋方面海軍作戦(2)昭和十七六月以降』は、アメリカ側公表損害虚偽である可能性言及し、いまだ真相不明であると結論付けている。 一方で日本海軍航空部隊損害は軽いものではなく機動部隊攻撃索敵出撃して未帰還となったものだけで40機に上った。ほかに空中戦失った戦闘機も約20機、地上撃破された機体少なくなかったなかでも755航空隊壊滅的打撃受けて再建のためにテニアン島後退しなければならなくなったブーゲンビル島沖航空戦や、この直後起きマーシャル沖航空戦損害重なって日本海軍航空戦力大きく低下する結果となったアメリカ海軍50任務部隊は、攻略部隊護衛ギルバート諸島孤立化という任務達成した。同部隊は、12月5日今度クェゼリン環礁ウォッジェ環礁などマーシャル諸島日本軍拠点空襲し、反撃する日本軍との間でマーシャル諸島沖航空戦展開できるだけの十分な戦力残っていた。

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両軍の損害

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/09 00:22 UTC 版)

ペリリューの戦い」の記事における「両軍の損害」の解説

日本軍軍属を含む) 戦死者 10,022名~10,695戦傷者 446名(生存者を含む)。生還できたのは、残存者34名と捕虜302名。捕虜多く朝鮮出身軍属で、戦闘開始早々に米軍投降した実際戦闘員捕虜になったのは負傷などで体の自由がきかなかった14名のみ。 アメリカ軍 戦死者1,684戦死者 2,336戦傷者7,160 ~ 戦傷者 8,450戦病数千名。第81歩兵師団だけで2,500名以上、第1海兵師団含めると5,000名以上いるという説がある。

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両軍の損害

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2013/02/05 10:32 UTC 版)

レバー作戦」の記事における「両軍の損害」の解説

第1次攻撃隊の攻撃では、哨戒艇Terre-Nwuveに魚雷1本が命中した不発であった第2次攻撃で再びTerre-Nwuveに魚雷命中搭載爆雷誘爆ダンケルクにも被害もたらした第3次攻撃ではタグボートエストレル(Esterel)に魚雷命中し、エストレルは沈没したイギリス軍少なくとも魚雷5本は確実にダンケルク命中した判断していた。 イギリス側では、第3次攻撃隊のスクア1機が損傷し不時着したが、搭乗員駆逐艦によって救助された。 この攻撃でもイギリス海軍ダンケルク撃沈できず、フランス側ではダンケルク応急処置施し地中海横断してトゥーロン帰還させてしまった。

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両軍の損害

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/02 15:41 UTC 版)

テニアンの戦い」の記事における「両軍の損害」の解説

ウィキメディア・コモンズには、テニアンの戦い関連するメディアあります日本軍戦死者8100生存者 313アメリカ軍戦死者 389戦傷者 1816

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両軍の損害

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/03/30 18:07 UTC 版)

フロリダ諸島の戦い」の記事における「両軍の損害」の解説

日本軍戦死者1100名(ほぼ全員生存者 3名 米軍戦死者122日本側の生存者フェザーストン事件遭遇した

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両軍の損害

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/03 09:49 UTC 版)

マレー沖海戦」の記事における「両軍の損害」の解説

日本軍 元山空 雷撃隊:被撃墜自爆九六式陸上攻撃機)1(戦死7人)、被弾(隊内修理可能)4 美幌空 爆撃隊:被弾(隊内修理可能)10 雷撃隊:被弾(隊内修理可能)3 鹿屋空 雷撃隊:被撃墜自爆一式陸上攻撃機)2(戦死14人)、被弾大破)2、被弾(要航空修理)2、被弾(隊内修理可能)8 イギリス軍 沈没戦艦プリンス・オブ・ウェールズ巡洋戦艦レパルス 戦死フィリップス大将リーチ大佐ほか将兵840名。 日本軍参加機の多く被弾して工廠修理2機、隊内修理25機、喪失機ふくめ21戦死という被害出し、2隻の対空砲火激しさ証明している。日本攻撃隊の内一機は佛印南部不時着している。 また、11日松永少将追加報告行い、その中に巡洋艦一隻(或ハ嚮駆)撃沈追加ス」とあるが、巡洋艦または嚮導駆逐艦沈没搭乗員誤認であり、巡洋艦存在せず駆逐艦沈没していない。これは水平爆撃行った際の報告である。 両艦の戦死者意外に少ないのは、日本機は駆逐艦による救助作業を全く妨害しなかったためである。沈没確認した日本機は敵将兵の戦闘たたえて翼を振っただけではなく後日現場花束二個を投下敵味方戦死者捧げた小沢治三郎は、フィリップス戦死の報が届いた時、その死を悼み、「いずれ、我々にも同じ運命がくる」と、暗澹たる口調呟いた、という。

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両軍の損害

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/29 04:01 UTC 版)

バルジの戦い」の記事における「両軍の損害」の解説

この戦いにおけるアメリカ軍戦死者負傷者行方不明捕虜合わせて76,000人から87,559人[要出典]にも及ぶ大損害で、一説には第二次世界大戦における最大級アメリカ軍人的損失とも言われおり、戦死者の8,607人~約19,000人は太平洋戦線最大激戦となった沖縄戦20,195人に次ぐ規模となっている。さらに、人的損失のなかの約20,000人は捕虜であり、シェーンベルグ英語版)では包囲された第106歩兵師団兵士など約9,000人が一度降伏して捕虜となっているが、これは第二次世界大戦においては、アメリカ軍被った最悪敗北とも言われているフィリピンの戦いバターン戦い英語版)でのアメリカ極東陸軍によるアメリカ軍24,000人(うちアメリカ人12,000人、アメリカ陸軍正規兵であるフィリピン・スカウト(英語版12,000人)、フィリピン軍フィリピン人50,000人以上の大量降伏に次ぐ規模となった一方ドイツ軍損失は更に甚大であり、戦死者負傷者行方不明捕虜人的損失81,834人もしくは10万人から12万人諸説あるが、人的損失加えて物資的な損失甚大で、装甲車両損失800輌、なかでも主力戦車であったV号戦車パンター損失壊滅的で、バルジの戦いでは415輌のパンター投入されたが、2週間で180輌が撃破135輌が損傷故障使用不可で、まともに生き残っていたのはわずか約100となっていた。これらの損失補充するのは不可能であり、ドイツ軍崩壊早める引き金ともなったベルギー国民受けた損害大きく、「バルジの戦い」の期間内に約3,000人が死亡したとも言われている。ドイツ軍作戦目標となったアントワープリエージュV1飛行爆弾V2ロケット大量に撃ち込んでいるが、侵攻初日12月16日には映画館のシネマレックスにV2ロケット命中映画鑑賞中の連合軍兵士296人を含む567人が死亡した死亡したベルギー民間人多く子供であった。ほかにもパイパー戦闘団など侵攻してきたドイツ兵により虐殺されベルギー国民多数上った激戦地となったバストーニュ市民受けた被害大きく市街の1,250戸の住宅のうち、250戸が全壊450戸が何らかの被害受けて居住不能となった数千人が戦火巻き込まれたが、そのうち782人が命を落としている。連合軍の砲爆撃巻き込まれ死亡したベルギー国民多く少なくともラ・ロッシュ120人、サン・ヴィトで250人、マルメディ300人、ウーファリズで200人の民間人死亡している。

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両軍の損害

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/04/21 18:32 UTC 版)

ラビの戦い」の記事における「両軍の損害」の解説

日本軍-戦死311名、不明301名、戦傷311名(収容者1318名中。なお残り大半歩行困難連合軍オーストラリア軍-戦死不明167名、戦傷206アメリカ軍-戦死14名、戦傷若干

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両軍の損害

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/10 05:26 UTC 版)

タラワの戦い」の記事における「両軍の損害」の解説

戦闘の結果タラワ島守備した日本軍は、文字通り全滅した捕虜となって生き残った者は、負傷して意識不明の状態で捕えられた者などごく一部だけであった河津幸英は日本側の死亡率著しく高い理由を、米軍が、負傷したりして無抵抗日本兵軍属までも皆殺ししたためであると推定している。また、日本兵中には捕虜になることを避けるため、自決する者もいた。米軍日本兵徹底的に殺害した背景として、日本軍降伏せずに最後まで抵抗する傾向があったため、掃討戦十分に行う必要があったからとする見方もある[要出典]。 一方米軍人的損害極めて大きなもので、恐怖のタラワ・マキンと呼ばれるほどであった。このことはアメリカ本国でも報道され海軍海兵隊指揮問題があったのではないか批判浴びた。また記録映画公開したところ、米軍重傷者や遺体映像によって一時的に志願兵応募率が低下したという騒動起きた。 (作戦指導批判の声上がる一方で)「タラワ」の名はアメリカ国内知れ渡った。それは、アメリカ国民勇気犠牲精神象徴するものとして、独立戦争中持久戦に耐えたフォージ渓谷テキサス独立戦争メキシコ軍に対してアメリカ側独立軍全滅したアラモ砦第一次世界大戦の激戦地ベローウッド、そしてガダルカナル島並んで国民記憶長く留まる地名となったのだ — ユージーン・スレッジ/伊藤真[要曖昧さ回避]・曽田和子訳『ペリリュー・沖縄戦記40本島戦いおよびマキンの戦いでの苦戦は、米軍水陸両用作戦改良力を入れきっかけとなり、その経験翌年クェゼリンの戦い生かされた。 日本軍 戦死者 4713名 生存者軍人 17名 内出身軍属 14朝鮮出身軍属 129米軍 戦死者 1009名 戦傷者 2296名

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両軍の損害

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/28 05:18 UTC 版)

嘉数の戦い」の記事における「両軍の損害」の解説

日本軍64,000人(48,000とも) アメリカ軍24,000人(12,000とも) いずれも戦死傷者。ただし諸説あり(嘉数戦のみの統計がほとんど無いため)。

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