両軍の索敵
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10月25日、日本軍は数日前から見失っていたアメリカ軍機動部隊を求め索敵を活発に行ったが、アメリカ軍機動部隊の発見には至らなかった。対するアメリカ軍は、哨戒中のPBYカタリナ飛行艇が25日午前中に日本軍機動部隊を発見した。同25日正午すぎには、水上機母艦カーティスの水上偵察機が日本空母2隻を発見した。南雲中将は日本陸軍総攻撃成功(ヘンダーソン飛行場占領)の報告を受けて南下していたが、誤報と判明してから機動部隊本隊のみ北上、機動部隊前衛はそのまま南下をつづけていた。アメリカ軍哨戒機の出現により、南雲中将は前衛にも反転北上を命じた。前衛はB-17 6機の攻撃を受けたが被害を受けなかった。 一方、第61任務部隊のキンケイド少将は、指揮下のエンタープライズから索敵を兼ねてF4Fワイルドキャット戦闘機16機、SBDドーントレス急降下爆撃機12機、TBFアヴェンジャー雷撃機7機からなる攻撃隊を発進させた。その後の報告で日本軍機動部隊が北に反転したことが判明したが、キンケイド少将は無線封止を維持するため攻撃隊に日本軍位置情報を転送しなかった。アメリカ軍攻撃隊は反転した日本軍機動部隊を捕捉出来ず、燃料切れや着艦時の事故でF4F1機、SBD4機、TBF3機の計8機(『THE BIG E』では7機)を失った。また朝の着艦事故でF4F4機が失われており、エンタープライズの航空隊は決戦を前に航空機12機を失うという大きな痛手を受けている。 午前9時、山本五十六連合艦隊長官は前進部隊(第二艦隊、第二航空戦隊)の航空兵力で、ガダルカナル島の敵軍陣地・アメリカ艦隊の攻撃を命じた。これを受けて空母隼鷹から発進した零戦12機、九九艦爆12機(攻撃隊指揮官志賀淑雄大尉)はガ島ヘンダーソン飛行場を爆撃し、石油タンクの炎上を確認した。二航戦の空襲と並行して、基地航空部隊も飛行場爆撃と上空制圧をおこなった。午前10時、前衛部隊索敵機が「米軍戦艦2-3、防空巡洋艦4、巡洋艦1、駆逐艦12、ツラギより方位160度、170マイル」を報じた。支援部隊指揮官(近藤長官)は南雲機動部隊に「成シ得レバ攻撃セヨ」と命じたが、機動部隊は「本日攻撃ノ見込ナシ」と返電した。19時18分、連合艦隊電令作第354号は『陸軍は今夜19時、ガ島突入の予定にして、26日、敵艦隊はガ島南東海面に出現の算大なり。連合艦隊は26日敵艦隊を捕捉撃滅せんとす』と伝える。この電令の中で山本長官は日本軍基地航空隊も米艦隊を攻撃するよう求めているが、実際の海戦は機動部隊と機動部隊の正面衝突となり、基地航空隊は全く関与しなかった。第四艦隊麾下の第四空襲部隊も飛行艇や陸攻で26日以降の偵察を実施したが、連合軍を発見しなかった。この時、アメリカ軍はハワイのラジオ放送を通じて「近くソロモン方面で大海空戦が行われる。米国民に良きプレゼントを送る」というプロパガンダを行っていたとされる。夜間、前衛の磯風は飛行艇から雷撃されるが、命中しなかった。 海戦当時の日本艦隊の配置は、機動部隊本隊(南雲長官)と前衛(阿部中将)の距離が50 - 60浬、第二航空戦隊ふくむ前進部隊(近藤長官)は機動部隊の西方100~120浬を行動していた。10月26日、南雲忠一中将の機動部隊本隊は午前0時30-50分にアメリカ軍のPBYカタリナ飛行艇から爆撃を受け、瑞鶴の至近距離に爆弾が落下した。各艦を攻撃したB-17はエスピリトゥサント島から、カタリナ飛行艇はヌデニ島などから飛来しており、爆撃・雷撃を実施するとともに日本艦隊の位置を通報している。カタリナ飛行艇が発した情報は、エスピリトゥサント島基地航空隊を経由して2時間後の26日0312にアメリカ軍機動部隊へ届けられたという。ニューカレドニア島ヌーメアの司令部から指揮をとるハルゼー提督は「攻撃せよ、反覆攻撃せよ」の命令を発した。 これに対し、米艦隊の奇襲を受ける可能性があると判断した南雲機動部隊は、ガダルカナル島北東460km地点で反転北上する。そして黎明(日出03時45分)から艦上攻撃機13機による二段索敵を開始した。レーダーがないと夜間は索敵できないため、夜明け前と夜明けの直前といったように時間差をあけて同一の方面へ偵察機を派遣し、先発の機が索敵できなかった海域を後発の機が索敵、夜明けと同時または夜明けから短時間で捜索を完了させるという方法である。日本軍前進部隊(第二艦隊)からも、重巡洋艦や軽巡から零式水上偵察機や九四式水上偵察機が発進し、索敵にあたった。一方のアメリカ軍も、エンタープライズからドーントレス16機が発進し、2機ずつのペアになって索敵に向かった。
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両軍の索敵
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5月5日、フレッチャー少将と空母ヨークタウンは第11任務部隊・空母レキシントンと合流、油槽艦ネオショーから補給を受ける。その最中、アメリカ陸軍機から日本軍機動部隊出現の情報を受け取り、また前述の九七式飛行艇に発見されたため、日没後に北西に転舵した。5月6日午前6時、ショートランド泊地で燃料補給を行った軽空母祥鳳と第六戦隊重巡洋艦4隻が出港した。午前10時、横浜海軍航空隊(横浜空)の九七式飛行艇(山口飛曹長機)が第17任務部隊を発見、約4時間にわたって触接を続け「空母1、戦艦1、重巡1、駆逐艦5」という戦力と位置・進行方向を打電した。ラバウルの山田定義少将は横浜空の飛行艇部隊に魚雷を搭載しての雷撃命令を下令し、ブナカナウの陸攻部隊には翌朝の出撃準備を命じた。ただし、横浜空はツラギに進出して時間がなく、出撃することは出来なかった。午後2時、特設水上機母艦神川丸がデボイネに入泊し、水上機偵察基地の設営を開始した。同基地には聖川丸飛行隊も進出した。翌朝までには基地設営は完了し、神川丸は第18戦隊とともに北方に避退した。午後5時30分、MO主隊司令官五藤存知少将は「味方機動部隊を偵知せざる敵機動部隊は明日『ルイジアード』南方海面より来襲の算大なり」と通知し、重巡洋艦衣笠、古鷹から九四式水上偵察機各艦2機、第十八戦隊神川丸の水上機を索敵に投入した。 その頃、MO機動部隊は山口機のアメリカ軍機動部隊発見電を午前10時47分に受信、攻撃準備を行いつつ南下していた。しかし索敵の不備から第17任務部隊まで70浬(飛行時間20~30分)地点まで接近しつつ午後8時になって北西に反転、先制攻撃のチャンスを失った。原少将は、戦後になって「被発見を避けたのと、基地航空部隊の索敵を信頼した」と回想しているが、米海軍大学校研究では「原は自らの安全を優先し、さらに索敵に艦攻を投入して攻撃兵力が減ることを嫌がったからだ」と指摘している。この時、MO機動部隊の重巡洋艦2隻・駆逐艦4隻は燃料補給が充分ではなく、午後4時30分に空母翔鶴、瑞鶴と分離して北上している。原少将の空母2隻が第17任務部隊と最接近した時、護衛駆逐艦は有明と夕暮の2隻だけであった。MO機動部隊の接近に全く気付いていなかったフレッチャーは、第17任務部隊から油槽艦ネオショーと駆逐艦シムスを分離、次の給油点(南緯16度、東経158度)に派遣した。
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