両軍の配置
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/03/31 08:09 UTC 版)
ワシントンは一連の低い山並みが続くワチャング山地で海から隔てられたモリスタウンにその作戦本部を置いた。この山地の東と南に前進基地を作らせたが、イギリス軍が丘を越えて侵略してきた場合に備えた防塁に過ぎなかった。ただし、襲撃に出る場合の出撃点にはなった。1月から2月が過ぎる間に、ワシントン軍の多くの兵士がその徴兵期間を過ぎていたのをワシントンが軍に留まるよう鼓舞していたものの、正規兵の総勢は2,500名に縮小されていた。このときニュージャージー、ニューヨークおよびペンシルベニアの多くの民兵が大陸軍に集まり重要な役割を果たすことになった。 イギリス軍は当初、北のハッケンサックからニューブランズウィックまで配置されていた。守備隊の総勢は約10,000名であり、ニューブランズウィックとアンボイの間に集中し、またかなりの数がさらに北のエリザベスタウンからポーラスフックに配備されていた。大陸軍の民兵隊から圧力が掛かってイギリス軍のチャールズ・コーンウォリス将軍は北方の守備隊の大半をハンドソン川の岸に後退させた。その結果兵士が集中したために住民が放棄した家を使っていた宿舎にも兵士が溢れ、ある者は近くに碇泊する艦船の上で寝泊りすることすらあった。込み合った宿舎のために宿営地にありがちな病気が冬の間はびこり、士気は低下した。そのあたりは前年秋に大陸軍が撤退するとき酷く略奪されており、食料を調達しようとしてもほとんど術が無かった。兵士達は塩漬け肉などの食料で生存していたが、荷車牽引用の家畜は新鮮な飼葉を必要としており、そのために兵士達の遠征隊を送ることもあった。
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