両軍の集結とは? わかりやすく解説

両軍の集結

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/06 01:30 UTC 版)

アルブエラの戦い」の記事における「両軍の集結」の解説

フランス軍ベレスフォード前に退却余儀なくされたときから、スールトバダホス危機認識し冬季戦役における目に見える成果一つ失わないよう決断した5月9日までに、スールト時間無くなりつつあると感じカディス包囲と他のアンダルシア地方支配捨てて南方軍所属第1軍団英語版)と第4軍団英語版)の全兵力バダホス出発したアンダルシアとの境でラトゥール=モブール率い第5軍団合流し、兵約23,000カノン砲35門の軍勢バダホス向かったスールト連合軍比べ戦力劣っていたが、兵士の質で補えるものと期待していた。 ベレスフォードは、5月12日セビリアスペイン人愛国者から受け取ったスールト出発伝え報告で、フランス軍前進警戒態勢についたベレスフォード同日昼にフランス軍指揮官への降伏勧告送り拒絶されるといった、バダホス包囲のふりを続けていたが、もはや攻略する時間はないと認め攻城砲物資退却命じた5月13日、コルボーンの旅団配属されていたスペイン軍騎兵フランス軍遭遇し4月ウェリントンから受けた命令従いベレスフォードスールト現在位置知らせ一方で後退した同日後刻ロングイギリス軍騎兵進軍中のフランス軍遭遇したが、ロングまた、交戦するなというウェリントン命令従い急いで後退したベレスフォードロング後退多少時期尚早であり、フランス軍部隊展開させることで進軍遅らせることができたかもしれない考えた同じく13日ベレスフォードは、イギリス第2師団英語版)と、ジョン・ハミルトン英語版少将配下ポルトガル師団と3個砲兵中隊バダホスから、スールト3つの進路監視するのに理想的な地点であるバルベルデ移動させた。ウェリントン命令ベレスフォードスールトと戦うか退却する選択を完全に委ねるもので、ベレスフォード自身退却を選ぶつもりであった。しかし5月14日バルベルデスペイン軍最上位2人将軍、ブラケとカスターニョスに会うと、連合軍スールト軍を兵力上回っており戦い挑むのが正しいと説得されるがままになった。それを受けて連合軍指揮官たちは、バダホス救援に向かうフランス軍対峙するのに適するとしてウェリントン選んだ地点、アルブエラに集結することに合意した5月15日までには、スールトが、サンタ・マルタ英語版)とアルブエラを通過するバダホスへの中央の道を通ることがベレスフォード明らかになった。ベレスフォードはさらに部隊配置変え第2師団ハミルトンポルトガル兵をアルブエラの守備に向かわせ、そこでアルテンのKGL英語版大隊および、戦役のため臨時編成され守備隊軽装部隊からなる別のポルトガル大隊合流したスールト行動は、フランス軍猟騎兵ユサールロング騎兵サンタ・マルタ交戦したことでより明らかになった。そして、ロング再度ベレスフォード理解不能考えた早急さで退却した。ウィリアム・ラムレイ(英語版少将ロング交代し連合軍騎兵部隊指揮官就いた。この理由記録によって様々であり、ロング無能力理由したものや、単にラムレイの指揮順位上であることを理由したものがあった。ベレスフォード決断した直接理由は、ロング自身が、ラムレイの任命により、ロングスペイン軍騎兵指揮官との間で起こった指揮順位問題解決される示唆していたことであるとみられる。ラムレイは16日朝まで戦場到着せずそれまで実際に指揮変更行われなかった。 その日はもう戦闘がなく、ベレスフォード部隊配置完了させた。連合軍前面には南から北へ流れ複数小川があり、それらのうちノガレス(Nogales)川(フェリア(Feria)川とも呼ばれる)とチカピエルナ(Chicapierna)川がの南で合流してアルブエラ川となっていたが、特段障害になるものではなく2つ浅瀬1ヶ所で渡河することができた。アルテンの兵がアルブエラに、大半ポルトガル騎兵伴ったハミルトン師団がアルブエラから北にかけて連合軍左翼形成し、ウィリアム・ステュワート(英語版少将第2師団がアルブエラ西方の丘に布陣した。右翼は、カスターニョスとブラケ率いスペイン軍4個師団布陣する予定であり、第4師団加えて騎兵砲兵強力な戦略予備となった。チカピエルナ川とアルブエラ川の西側は、南北方向伸びる木が生えていない低い尾根向かって登りになっており、南に向けて徐々に高くなっている数個小山があった。戦いの後ベレスフォードは、これらのうちアルブエラの南西約1マイルにある小山とその約500ヤード南にある小山確保失敗したことを厳しく批判された。 ブラケの師団接近が遅れ、5月15-16日の真夜中近くにやっと到着したが、そこは翌朝戦闘開始時に都合が良い地点であった一方、ローリー・コール(英語版)の第4師団とデ・エスパーニャのスペイン軍旅団5月16日早くにはバダホスからアルブエラへ行軍であった一方スールト作戦立てていた。彼はブラケがベレスフォード合流しようとしていることを認識していたが、スペイン軍到着にはまだ数日かかると考えていた。スールトはその誤った前提基づいて連合軍南側向かい、彼らを分断するようくさびを打ち込むことが最善手であると考えたスールトは、ベレスフォード軍を撃破した後に南へ向かいブラケの師団と戦うことで、敵を徹底的に打ち破ることができるものと期待していた。

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両軍の集結

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/03/31 02:56 UTC 版)

スタンウィックス砦包囲戦」の記事における「両軍の集結」の解説

1777年4月大陸軍フィリップ・スカイラー少将が、ピーター・ガンズヴォート大佐指揮下にあるニューヨーク第3連隊に、ケベックからのイギリス軍インディアンによる侵略に対して守備隊として砦に入り、その修復を行うよう命令出した。ガンズヴォートの部隊5月に砦に入り即座に防御工作始めた。このとき砦を公式に「スカイラー砦」と名付けたが、元のスタンウィックス砦という名前で広く認識されていた。友好的なオナイダインディアンから、イギリス軍モホーク川流域への侵攻計画しているという情報入りそのこと7月半ばまでに確認されて、工事の進行拍車掛けられた。7月初旬、ガンズヴォートは状況スカイラー報告し物資弾薬不足していることを伝えていた。スカイラー7月8日補給物資を砦に送るよう命令した。 バリー・セントリージャーはこの遠征のために准将に名誉昇進しており、イギリス正規軍の第8、および第34歩兵連隊多く砲兵隊員、ヘッセ=ハナーウの猟兵80名、ニューヨーク王室連隊ロイヤリスト350名、バトラーズ・レンジャーズの1個中隊、および約100名のカナダ人労働者集めた大砲は6ポンド砲2門、3ポンド砲3門、および小さな迫撃砲4門だった。6月23日モントリオール近くラシーン出発するときに得ていた情報は、砦に約60名の守備隊が居るだけであり、セントリージャーはこれだけ部隊であれば荒廃した砦を落とすのに適当だと考えた。 セントリージャーは、砦の守備隊から捕まえた捕虜セントローレンス川に連れてこられたときに、大陸軍がスタンウィックス砦を占領したことを知った。さらにその捕虜から、砦が修復され、「600名以上の守備隊がおり、...イギリス軍が来ることを予測しており、その勢力経路知っている」ことを聞いた遠征隊に同行していたインディアン代理人ダニエル・クラウスがセントリージャーに、オスウェゴ行って1隊のインディアン徴兵することを勧めた7月14日にはオスウェゴ到着しジョセフ・ブラント800人のインディアン遠征隊に加わった。これは主にモホーク族セネカ族の者達だったが、イロコイ連邦他の部族の者や五大湖地方インディアン入っていた。イロコイ連邦のうち、オナイダ族とタスカローラ族はこのときも中立宣言しており、加わらなかった。 オスウェゴ出発した後で、セントリージャーのもとに砦に多く物資運び込まれつつあるという情報入った。セントリージャーは即座にブラント200名のインディアンおよび30名の正規兵を派遣しその物資を横取りして砦の包囲始めるよう命じたブラント部隊8月2日に砦に到着したが既に遅かったマサチューセッツ第9連隊200名が護衛する輜重隊が既に到着し、荷を卸していた。ブラント隊は輜重隊の船の船長捕まえることができた。マサチューセッツ連隊兵士は砦に留まった。セントリージャーの主力部隊翌日到着した。ただし、大砲到着するにはさらに数日要した

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