蟹江合戦の経過とは? わかりやすく解説

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蟹江合戦の経過

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/21 14:59 UTC 版)

蟹江城合戦」の記事における「蟹江合戦の経過」の解説

天正12年6月16日午前安宅船擁する九鬼水軍滝川一益の兵3千が蟹江浦に現れる前田長定は、滝川一益調略受け入れ佐久間信辰本丸から退去させた。同時に長定の弟・前田長俊(利定)の守る下市場城及び、長男前田長種の守る前田城も秀吉陣営となったが、大野城山口重政母親人質取られているにも関わらず調略応じなかった為、16日夕刻滝川九鬼前田勢は城攻め行い陥落寸前まで追い込んだという。 蟹江城落城報せ聞いた長島城織田信雄は兵2千を率いて16日の夜日のうちに大野城急行清州城徳川家康手勢率いて17日早朝には戸田村本陣構えた。信雄は大野城入城し大野城攻め失敗した滝川勢は蟹江城に、九鬼勢は下市場城にそれぞれ逃れ篭城した。 翌6月18日家康と信雄は2万の兵を率いて蟹江城前田城、下市場城の3城を包囲した下市場城・前田城における配置(6月18日)城城大手(攻め方)搦手(攻め方)追手海手(攻め方)先鋒(攻め方)下市場城前田長菅沼定盈松平家信設楽貞光 松平親乗酒井重忠内藤政長長島平蔵 松平清定松平親次大須賀康高榊原康政 酒井忠次岡部長盛山口重政 前田城前田長石川数正 阿部信勝 同日織田徳川勢下市場城を集中的に攻撃して城を落とし前田長俊を討ち取っている。 6月19日舟入戦いにおいて九鬼嘉隆敗北織田徳川陣営による海上封鎖完成する6月20日蟹江城において、家康が東から、南と西から信雄が城を攻める。 6月21日秀吉美濃から近江・佐和山城に移る。 6月22日蟹江城において、織田信雄徳川家康総攻撃仕掛ける。 蟹江城における両軍の配置6月22日配置城方攻め本陣滝川一益滝川一忠滝川儀太夫津田藤三織田信雄織田長益水野忠重、(水野勝成)、佐久間信栄、(山口重政)徳川家康石川数正井伊直政本多忠勝榊原康政、(松平家忠) 海門寺口(南)谷崎忠右衛門 天野雄光丹羽氏次酒井忠次、(酒井忠利松平康安内藤家長久松定勝) 前田口(東)日置左衛門 松平康忠、(服部正成) 乾口(北西滝川忠征 織田信雄大須賀康高 注:()大将未満攻め22日合戦の経過大手口である海門寺口の大将であった酒井忠次率いる兵は連日激戦疲労し夕刻、代わって榊原康政松平家忠の兵が海門寺口に入った滝川一益守備兵集約するため、一度夜陰紛れて城門から城外打って出て、その後三の丸放棄し二の丸撤収しようとするが、海門寺口だけは苦戦し谷崎忠右衛門率い城兵城外包囲されてしまう。滝川一益怒り自ら門役務めこの城兵二の丸まで収容したが、谷崎忠右衛門はこの日の鉄砲傷がもとで3日後に死亡したと伝わる。 滝川一忠前田口において二の丸に退く殿の将を務め攻め方の水野勝成切り合い双方傷を負ったと伝わる。 6月23日石川数正阿部信勝が攻めていた前田長種の守る前田城が開城し、徳川家康榊原康政伴い入城する。 6月24日秀吉が一益の蟹江城攻略知り近江・土山に移る。 6月25日秀吉伊勢椋本移り信濃木曾義昌尾州西側からの総攻撃予定伝える。 6月29日和平交渉開始される7月3日蟹江城徳川・織田勢に引き渡されるが、和睦にもかかわらず退去中の前田長定殺害され滝川一益殺害免れ伊勢逃れた。(三河物語では、「(7月3日)一益は逃げて助かったものの、長定は逃してならないとされ同船していた女房子供共々討ちとった」と書かれているのに対し後世家忠日記増補小牧始末記では、「7月2日に甥の滝川源八郎が逃亡する長定を討ち取ったと書かれ、滝川一益前田長定殺害したことに変更されている。)滝川伊勢神戸城逃れるが、同城を守備していた富田一白怪しまれ入城できずに追い返されている。 秀吉は、伊勢羽柴秀長丹羽長重堀秀政ら6万2千の兵を集めて7月15日尾張西側から総攻撃計画していたが、間に合わず中止となった

※この「蟹江合戦の経過」の解説は、「蟹江城合戦」の解説の一部です。
「蟹江合戦の経過」を含む「蟹江城合戦」の記事については、「蟹江城合戦」の概要を参照ください。

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