蟹江本町時代(1969-1998)
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「蟹江町図書館」の記事における「蟹江本町時代(1969-1998)」の解説
1968年(昭和43年)秋から蟹江本町ホの割の忠霊苑(忠霊塔)脇に新館の建設が進められた。旧館とは異なり近鉄蟹江駅の南側、駅から徒歩5分の距離にあった。この場所は近鉄蟹江駅と国道1号の中間付近であり、交通の便が良かった。忠霊園に隣接しており、図書館の周囲には緑が多いことから、旧館と比べて読書環境がよかった。1969年(昭和44年)3月31日に鉄筋コンクリート造2階建の建物が竣工し、6月1日には約3年間使用した木造館から新館に移転した。総工費は1350万円。蟹江町は図書館の建設と並行して忠霊苑に植樹や造園を行い、児童遊園としての整備を行った。 1階には事務室・児童閲覧室・宿直室が、2階には成人閲覧室・書庫が置かれた。佐藤観次郎の寄贈本は佐藤観文庫としてまとめられ、小説家の川端康成が文庫の額面を揮毫した。なお、佐藤はそもそも小説家の谷崎潤一郎に揮毫を依頼していたが、谷崎は1965年(昭和40年)に病気で他界している。新館開館時の休館日は毎週月曜日・土曜日午後・祝祭日・年末年始だった。平日は9時から17時30分、土曜日は9時から12時30分が開館時間だった。図書館の新築によって空いた建物には、町制80周年記念事業として1969年11月11日に蟹江町郷土館が開館した。 1971年度(昭和46年度)の蔵書数は12,335冊、入館者数は12,619人、貸出冊数は9,182冊だった。1981年度(昭和56年度)には移動図書館車「ともしび号」を349万8000円で購入し、1981年10月1日から移動図書館の運行を開始した。蔵書数は1978年度末(20,799冊)に2万冊を突破し、1983年度末には42,701冊となった。貸出冊数は1979年度(20,517冊)に2万冊を突破し、1983年度には52,043冊となった。1982年度には60,003冊が貸出されたが、うち38%に相当する22,735冊は移動図書館によるものだった。
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