蟹江町の発足
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/02 01:47 UTC 版)
1888年4月25日に、明治政府により市制町村制が公布された。元号が明治に変わったのは1868年だが、それから20年が経過した当時、明治政府は国内体制を整備し、ヨーロッパのような近代的な地方自治制度を行うだけの資金力、それを支えるための人口を目指し始めた。 そのような時代に、1889年10月1日、愛知県によって市制町村制が施行された。これにより、蟹江町区域には蟹江町、新蟹江村、千秋村、西之森村、須成村の5町村が成立した。蟹江町は蟹江本町村、蟹江新町村、今村、西福田村の一部の合併により誕生した。新蟹江村は蟹江新田の一部と鍋蓋新田が合併し、千秋村は蟹江新田の一部と善太新田と大野村が合併してできた。また、西之森村と須成村は、江戸時代からの村域がそのまま引き継がれ、誕生した。 海部地域全体でみると、町村制施行以前は244も存在した村々が56町村までに減少し、その中でも町制を敷いたのは津島町と蟹江町のみであった。町村制施行翌年の蟹江町の人口は6236名に上り、海部地域では津島町に次ぐ2番目、愛知県下でも15番目の人口規模を誇った。また、明治期を通して蟹江町に警察分署、郵便局、電信局、高等小学校、銀行、駅が次々と設置されたことで大いに繁栄した。
※この「蟹江町の発足」の解説は、「蟹江町」の解説の一部です。
「蟹江町の発足」を含む「蟹江町」の記事については、「蟹江町」の概要を参照ください。
- 蟹江町の発足のページへのリンク