両軍の移動とは? わかりやすく解説

両軍の移動

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/18 09:45 UTC 版)

モンテベッロの戦い」の記事における「両軍の移動」の解説

宣戦布告時点サルデーニャ王国駐留しているフランス軍はおらずフランス南仏にも戦力分散させていたとはいえ同じく列強であるオーストリア帝国対抗できるほどの軍事力重心パリ中心とする北部にあった。そのため、フランス世界初軍用列車大規模使用敢行して自軍素早くピエモンテ移動させた。オーストリア帝国軍はフランス軍ピエモンテ到着する前により弱体なサルデーニャ軍(イタリア語版)を撃破し戦争終結目指したが、ロンバルディアオーストリア軍指揮官であるギュライ伯爵ドイツ語版)は慎重にティチーノ川周辺特定の方向もなしに行軍、やがて渡河して攻勢開始した彼にとって不幸なことに、大雨降り始めてしまい、サルデーニャ軍(イタリア語版)は稲田水没させてオーストリア帝国軍の進軍遅滞させた。

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両軍の移動

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/04 23:10 UTC 版)

ミッドウェー海戦」の記事における「両軍の移動」の解説

1942年5月28日アメリカ海軍太平洋艦隊司令長官発の作戦計画従いエンタープライズホーネット基幹とする第16任務部隊TF-16)が真珠湾出撃し、続いて5月30日には第17任務部隊(TF-17)も基幹となるヨークタウンの緊急修理完了を待つ形で真珠湾出撃死守命令受けたミッドウェー島守備隊助けるため一路ミッドウェー島目指し来襲する日本軍待ち構えた1942年昭和17年5月27日日本海軍記念日)、南雲忠一中将率い第一航空戦隊赤城加賀)、第二航空戦隊飛龍蒼龍)を中心とする第一航空艦隊通称南雲機動艦隊」)が広島湾柱島から厳重な無線封止実施しつつ出撃した。5月28日ミッドウェー島占領部隊輸送船団水上機母艦千歳駆逐艦親潮黒潮と共にサイパン出航した海軍陸戦隊大田実少将)と設営部隊陸軍からは一木清直陸軍大佐率い陸軍一木支隊乗船していた。船団第二水雷戦隊旗艦軽巡洋艦神通)他に護衛され北上した5月29日連合艦隊長官山本五十六大将が直卒す主力部隊広島湾柱島出撃した。三和義勇大佐連合艦隊作戦参謀)は「今は唯よき敵に逢はしめ給えと神に祈るのみ。敵は豪州近海兵力集中せる疑あり。かくては大決戦出来ず。我はこれを恐れる」「長官から兵にいたるまで誰一人として勝利についていささかの疑問をいだく者はいない。戦わずして敵に勝つの概ありと言うべきか」と日記したためている。 5月30日日本輸送部隊付近の米潜水艦ミッドウェー長文の緊急電発信し日本はこれを傍受した宇垣連合艦隊参謀長)は、輸送部隊発見して報告するものとすれば、敵が備えるところとなり、獲物がかえって多くなる考えたまた、宇垣は、アメリカ軍の緊急交信従来の例を見ずミッドウェー向かっていることがばれている可能性もあるが、いずれにせよ変更はしない考えた連合艦隊何の対応も取らなかったことはこれ以上なく悔やまれることで、南雲艦隊空襲中止させ、米機動部隊撃滅する方法もあったという意見もある。 6月3日午後南雲機動部隊追従する主力部隊旗艦大和乗り込んだ連合艦隊司令部敵信班はミッドウェー島付近で敵空母らしい呼び出し符号傍受した回虫から来る腹痛悩まされていた山本だが、直ち南雲機動部隊通報するよう参謀伝えた。だが「無線封鎖破れば敵に位置知られる」「南雲機動部隊の方が近く同じく傍受したはず」という判断から見送られた。連合艦隊首席参謀黒島亀人大佐によれば4日頃に(大本営からの連絡、又は通信傍受で)ミッドウェー機動部隊がいる兆候をつかみ、山本長官が一航艦に知らせるかと尋ねたが、黒島無線封止優先、一航艦が搭載機半数をもって反撃備えていること、機動部隊兆候つかんだであろうことから、知らせないように具申したとして自分失敗であると話している。連合艦隊航空参謀佐々木彰中佐によれば4日通信呼出符号傍受したという。しかし南雲機動部隊傍受しておらず、予定通り作戦続けた。この件を取材した亀井宏によれば黒島参謀含めて連合艦隊軍令部第六艦隊全員証言一致しなかったという。 日本時間6月3日午前10時30分南雲機動部隊深い霧の中で混乱し旗艦赤城飛龍蒼龍と2戦艦榛名霧島)の艦影見失った飛龍霧島衝突しかけたため、司令部では無電使用するかどうか議論があったが、長波無電使用して艦隊針路定めた無線使用によりアメリカ軍南雲部隊行動察知したという説が日本側にあるが、アメリカ軍側にこの通信傍受した記録はない。6月4日午前3時37分、南雲部隊補給隊駆逐艦秋雲分離した午前10時25分、南雲司令部は各艦に「敵情応じ行動変更あるやも知れず」とし、制空隊の集合収容注意するよう通達出している。午後4時30分、赤城利根アメリカ軍機らしき機影発見すると、赤城から3機の零戦発進し迎撃向かった南雲機動部隊は、誤認可能性が高いと判断している。午後1130分、赤城雲間アメリカ軍機を発見して総員戦闘配置につけたが、その後平穏に過ぎた赤城では日本軍輸送船団爆撃受けた後述)ことを知り、またアメリカ軍索敵機を撃墜できなかったことでミッドウェー基地対す奇襲効果失われたことを悟ったが、米空母出撃てきていることには考え至っていなかった。

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