機動部隊の接近
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/03 06:15 UTC 版)
第58任務部隊は、3月22日に集結地点のメジュロ環礁を出撃し、パラオへと向かった。途中3月26日に給油艦9隻と会合して洋上補給を受けた。28日にも給油艦4隻を含む第50.15任務群(その他に護衛空母4隻・重巡3隻・駆逐艦12隻)から洋上給油を受けた後、第58任務部隊は3つの任務群に分かれ、攻撃隊の発進地点へと向かった。 アメリカ海軍は、不時着した友軍パイロットの救助と脱出する日本艦船の撃破のため、潜水艦部隊も展開した。パラオ周辺に7隻、ヤップ島とウォレアイ環礁近海に1隻ずつが配置された。このうち、パラオ沖にいたタリビーが3月26日夜にパラオに入港しようとする日本の西松2号船団を襲撃したが、発射した魚雷の自爆により沈没してしまった。 日本海軍は、アメリカ機動部隊の行動を早くから察知していた。第58任務部隊のメジュロ出撃翌日には、輸送任務中の潜水艦によって偶然に発見していた。連合艦隊司令部は、トラック基地航空隊による3月25日・26日の敵艦隊発見報告、通信解析の結果をふまえ、パラオへの空襲の公算が大きいと判断した。28日にはパラオまで750海里(1389km)のウォレアイ南方に迫っているのが航空偵察で確認されたが、連合艦隊司令部はまだ時間的余裕があると見ていた。他方、パラオ守備隊である第30根拠地隊は独自の判断を採り、輸送船団の一部を29日に繰り上げ出航させた。 3月29日朝、ペリリュー島から発進した日本軍偵察機が、第58任務部隊を発見した。連合艦隊司令部は急遽パラオの陸上に移動し、旗艦武蔵と船団護衛任務で寄港中の第17駆逐隊(磯風、谷風、浦風、浜風)などを遊撃部隊に編入してダバオへの退避を命じた。夕刻にパラオを出た遊撃部隊(武蔵、愛宕、鳥海、高雄、春雨、白露、満潮、藤波、浦風、磯風、谷風、浜風)は、待ち伏せていたアメリカの潜水艦タニーの襲撃を受けた。武蔵が魚雷1発を受けて損傷し、駆逐艦3隻(白露、満潮、藤波)を連れて修理のため呉海軍工廠へと向かうことになってしまった。他方、同じ連合艦隊所属でも支援艦船は港内待機を命じられた。その他の一般輸送船は第30根拠地隊が緊急出港させようとしたが、準備が間に合わず30日未明出港となった。 日本の基地航空隊は、ペリリュー島に一航艦から増援を送るなどして迎撃態勢を整えた。29日夕刻に陸攻10機・艦爆5機による先制の薄暮攻撃隊が出撃し、重巡1隻撃沈や空母・戦艦各1隻撃破などの戦果を報じたが、アメリカ側の記録によれば被害はない。日本側は陸攻6機・艦爆3機を失った。
※この「機動部隊の接近」の解説は、「パラオ大空襲」の解説の一部です。
「機動部隊の接近」を含む「パラオ大空襲」の記事については、「パラオ大空襲」の概要を参照ください。
- 機動部隊の接近のページへのリンク