着艦事故
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/12/29 18:33 UTC 版)
「アドミラルティ・アイランズ (護衛空母)」の記事における「着艦事故」の解説
しかし、4月18日にアドミラルティ・アイランズは就役後最初の死者を出す。12時17分に戦闘機を発進させた後、13時52分にはF6F ヘルキャット1機、TBM アヴェンジャー2機およびSB2C ヘルダイバー2機を、空母エセックス (USS Essex, CV-9) へ補充のため発進させた。アドミラルティ・アイランズは代わりとして、エセックスの10機の破損した戦闘機とパイロットを収容する事となり、14時6分に収容を開始した。 ロイ・エドワード・ジョーンズ少尉が乗る F6F-5 #71332 機が最初に着艦することとなった。しかし、信号担当将校(英語版)が出す手旗信号を読み違え、F6F-5 #71332 機は全速力で飛行甲板すれすれを通過。5本目の着艦ワイヤーに引っかかった次の瞬間、F6F-5 #71332 機は二つに折れて前部はジョーンズ少尉とともに海に放り出され、後部は砲架に引っかかった。信号担当将校は安全地帯に退避したが、その際に足を骨折した。ジョーンズ少尉は行方不明となり、ホノルルにある戦死者および行方不明者のメモリアルにその名前が追加された。事故を起こした F6F-5 #71332 機は、ジョーンズ少尉の前はチャールズ・E・ヒューベンタール少尉の乗機として、4月7日の戦艦大和以下第二艦隊(伊藤整一中将)による水上特攻を迎え撃った際、大和を最初に発見した航空機でもあった。
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