インドシナ、マレー、インドネシア方面
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「一式戦闘機」の記事における「インドシナ、マレー、インドネシア方面」の解説
1944年11月5日、シンガポールに飛来したB-29 53機を第1野戦補充飛行隊8機・第17錬成飛行隊7機からなる一式戦15機が迎撃し、1機を喪失するも最高指揮官機たる1機を撃墜(第468超重爆撃航空群指揮官フォールカー大佐機)、同時に一式戦によるB-29初撃墜の戦果を挙げた。 1945年1月24日・29日、スマトラ島パレンバンにイギリス海軍第63空母機動部隊艦載機が来襲。パレンバン防空は主力となる飛行第87戦隊(二式戦装備)のほか、第26戦隊・第33戦隊(一式戦装備、第33戦隊は装備2機のみ)、第21戦隊(二式複戦装備)が担当しており、2日間の空戦では日本軍は20機を喪失、イギリス軍は16機(さらに帰途不時着水11機・着艦事故14機を合わせると計41機に上る)を喪失している。 同時期、本方面スンバワ島ビワにて本来は教育部隊である第17錬成飛行隊の飛行隊長・教官・助教・隊員(特操1期)からなる臨時防空戦闘隊(一式戦12機)を編成。4月6日、ニューギニア方面から撤退する地上部隊将兵1,800名を満載した軽巡洋艦「五十鈴」および水雷艇「雉」・掃海艇2隻を攻撃するため飛来した、第一波の第18飛行隊・第2飛行隊B-25 20機を臨時防空戦闘隊の一式戦2機が迎撃、爆撃を妨害し艦艇損害無し。20分後には第二波として第21飛行隊・第24飛行隊のB-24 9機が飛来するも同戦闘隊からも増援の一式戦2機が到着し交戦、マクドナルド大尉機・フォード中尉機を撃墜し艦艇損害は至近弾2発・不発弾直撃1発のみ。さらに撃墜機乗員の救助に来たカタリナ1機を補給のため基地に帰還したのち再度飛来した一式戦1機が撃墜(第112海難救助飛行隊バルマン大尉機)。のちに掃海艇1隻が潜水艦の雷撃により沈没するも、「五十鈴」は無事にビマに入港し将兵を揚陸した。この空戦で一式戦は3機を撃墜するも損害は1機被弾のみ。臨時防空戦闘隊は7月半ばにかけて10機を喪失(このうち空戦被撃墜は4機、敵機衝突1機)するも7機を撃墜(B-24 5機・PB4Y-1 1機・カタリナ1機)、予想を上回る敢闘を見せた。 8月13日、スンダ海峡にて翔忠戦闘隊(6月22日に廃止された第33戦隊を飛行師団直轄の部隊としたもの)の一式戦がB-24 1機を撃墜(第203飛行隊テットロック中尉機)、これが一式戦が挙げた最後の戦果となる。 大戦末期となる1944年8月18日から終戦間際となる1945年8月13日にかけて、ビルマを初めとする東南アジア方面(ビルマ・フランス領インドシナ・マレー・インドネシア・タイ等)を担当する第3航空軍戦域における戦果・損害は以下の如し。 一式戦は連合軍機63機撃墜(このほか一式戦が撃墜した可能性がある未帰還9機が存在し、それを含めた場合は連合軍機72機撃墜)、対する空戦損害は61機喪失を記録。撃墜連合軍機の機種内訳は戦闘機14機(18機ないし19機)・爆撃機等32機(36機ないし37機)・輸送機等17機。戦闘機の詳細はP-47 4機・スピットファイア3機・P-38 2機・F4U 2機・P-51D 1機・F6F 1機・ハリケーン1機、爆撃機等の詳細はB-24 15機・ボーファイター5機・モスキート4機・B-29 3機・PB4Y-1 3機・PB4Y-2 1機・B-25 1機(先述の一式戦が撃墜した可能性がある連合軍未帰還機の内訳は、戦闘機等がハリケーン3機・F4U 1機、爆撃機等がB-29 2機・PB4Y-1 1機・B-24 1機、さらにTBFまたはファイアフライ1機)。 一式戦61機喪失のうち連合軍戦闘機によって撃墜されたものは47機で、残り14機は爆撃機の防御砲火によるものである。
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