第21飛行隊
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/07/04 04:28 UTC 版)
第21飛行隊(だい21ひこうたい、JASDF 21st Fighter Training Squadron)は、航空自衛隊第4航空団隷下の飛行隊である。松島基地に所属し、F-2Bによる戦闘機操縦(F-2)課程の教育を行っている。
概要
第21飛行隊の前身は1975年(昭和50年)3月31日、T-2高等練習機2機を装備した「臨時T-2訓練隊」であった、1976年(昭和51年)3月25日に「臨時T-2訓練隊」は「臨時第21飛行隊」に改編を経て同年10月1日正式に「第21飛行隊」として発足した。
1982年(昭和57年)1月12日から1995年(平成7年)12月22日まで同飛行隊内には、T-2ブルーインパルスを運用する「戦技研究班」が設けられていた。
現在は複座型のF-2B戦闘機を使用しての「戦闘機操縦課程」の教育を行っている。
沿革
- 1975年(昭和50年)3月31日 - 松島基地においてT-2を装備して第4航空団臨時T-2訓練隊新編
- 1976年(昭和51年)3月25日 - 臨時T-2訓練隊を臨時第21飛行隊に改編
- 1976年(昭和51年)10月1日 - 臨時第21飛行隊を第21飛行隊に改編
- 1982年(昭和57年)1月12日 - 第21飛行隊内に「戦技研究班(T-2ブルーインパルス)」を新設
- 1992年(平成4年)10月 - 「T-4準備班(T-4ブルーインパルス)」を新設
- 1994年(平成6年)10月1日 - 「T-4準備班」を「臨時第11飛行隊」に改編
- 1995年(平成7年)12月22日 - 第21飛行隊「戦技研究班」解散(同日付で第11飛行隊(T-4ブルーインパルス)新編)
- 2002年(平成14年)4月1日 - 「臨時教育F-2飛行隊」を編成
- 2004年(平成16年)
- 2011年(平成23年)3月11日 - 東日本大震災に伴い発生した津波により所属機がすべてが水没し、一時使用不能状態に陥る。
- 2016年(平成28年)3月20日 - 修理を終えた6機を含めた計10機のF-2で第21飛行隊が松島基地に帰還。記念式典が行われた[1]。
- 2016年(平成28年)3月23日 - 松島基地に帰還後の訓練再開、飛行練習が行われた
歴代運用機
地震被害
2011年3月11日に発生した、東北地方太平洋沖地震に伴い発生した津波により第21飛行隊のF-2B 18機、第21飛行隊と第11飛行隊のT-4 4機が水没した[2][3]。防衛省は水没した18機のF-2Bの修理を目指して4月17日より修復作業に入り[4]、最終的に修理可能な13機を復帰させることが決定した[5]。
第21飛行隊は青森県の三沢基地へ移動し三沢移動訓練隊を編成し、他部隊のF-2Bを借り受け飛行教育を再開していたが、2016年3月20日に修理が完了した被災機6機を含む計10機のF-2Bの体制で第21飛行隊を松島基地に帰還させた[6]。2017年度までに残り7機も復帰させる予定である[7]。
関連項目
脚注・出典
- ^ “「困難を乗り越え、本日をもって松島基地は復興する」 帰ってきたF2戦闘機 第21飛行隊、訓練再開へ 宮城県”. 産経新聞 (2016年3月20日). 2016年3月20日閲覧。
- ^ F2戦闘機18機など水没 松島基地、1機120億円
- ^ 地震:自衛隊の被災地派遣2万人に拡大
- ^ F2、防空の要所復活へ、奮い立つ松島基地産経新聞4月17日 21時47分付
- ^ “大臣臨時会見概要”. 防衛省 (2013年1月22日). 2016年7月4日閲覧。
- ^ “「困難を乗り越え、本日をもって松島基地は復興する」 帰ってきたF2戦闘機 第21飛行隊、訓練再開へ 宮城県 ”. 産経新聞 (2016年3月23日). 2016年7月4日閲覧。
- ^ “被災F2戦闘機、修復完了…第1号機が納入式”. 読売新聞 (2015年4月22日). 2016年7月4日閲覧。
外部リンク
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固有名詞の分類
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