T-2時代
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1982年(昭和57年)1月12日 - 松島基地第4航空団第21飛行隊内に「戦技研究班(T-2ブルーインパルス)」新編。 7月25日 - 松島基地航空祭で「T-2ブルーインパルス」最初の公式展示飛行を行う。悪天候のため「航過飛行」のみ。 8月8日 - 千歳基地航空祭で「T-2ブルーインパルス」最初の第1区分公式展示飛行(フル演技)を行う。 11月14日 - 浜松基地航空祭で「下向き空中開花」を演技中に4番機がホンダ・エクスプレス(現・ホンダロジスティクス)敷地内のモータープール(完成車両の出荷前集積場)に墜落。パイロット1名が殉職、周辺住民12名の負傷者を出す大事故を起こす。 1983年(昭和58年)2月 - 飛行訓練を再開。 10月30日 - 陸上自衛隊朝霞駐屯地で開催された「観閲式」にて行った観閲飛行で飛行再開。 11月3日・5日・6日 - 岐阜基地で開催された「国際航空宇宙ショー」にて、シンボルマークを描き、フライバイ飛行を実施する。 1984年(昭和59年)7月29日 - 松島基地航空祭で曲技飛行を含む展示飛行を5機で再開する。 1990年(平成2年)4月1日 - 大阪・花と緑の博覧会で博覧会シンボルマーク(巨大チューリップ)を描く。 1991年(平成3年)6月 - 次期(三代目)ブルーインパルス使用機材にT-4を選定。 7月4日 - 金華山沖での飛行訓練中に2機が墜落、パイロット2名が殉職。この年の展示飛行を中止する。 1992年(平成4年)8月23日 - 松島基地航空祭で水平区分系のみで展示飛行を4機で再開する。 10月 - 第21飛行隊内に「T-4準備班」発足。 1993年(平成5年)8月 - 展示飛行にソロ1機を追加、5機体制で展示飛行を行う。 1994年(平成6年)8月7日 - 千歳基地航空祭より6機体制になる。 8月10日 - 米空軍アクロバットチーム「サンダーバーズ」と三沢基地航空祭で競演。 8月11日 - 第4航空団にT-4アクロ(T-4ブルーインパルス)仕様1号機(46-5720)納入。 8月21日 - 松島基地航空祭で「T-4ブルーインパルス」機、一般に初披露される。 10月1日 - 第4航空団第21飛行隊内「T-4準備班」を昇格させる形で「臨時第11飛行隊」に新編。 10月1日 - 百里基地で『航空自衛隊創設40周年記念行事』を兼ねた「1994年航空訓練展示」でT-4ブルー機展示、1機(726号機)地上展示、2機(720号機・725号機)が、展示飛行を行う。 1995年(平成7年)7月30日 - 松島基地で開催された「航空祭」で「T-4ブルーインパルス」がお披露目され、T-2・T-4両ブルーインパルスの共演が行われる。 11月12日 - 百里基地で開催された「1995年航空訓練展示」でも「T-4ブルーインパルス」がお披露目され、再びT-2・T-4両ブルーインパルスの共演が行われる。 11月26日 - 宮崎県新田原基地航空祭で「T-2ブルーインパルス」最後の第1区分公式展示飛行(フル演技)を行う。 12月3日 - 浜松基地で『T-2ブルーインパルス最終展示飛行』を行う。 12月8日 - 松島基地上空で「T-2ブルーインパルス」最後の訓練飛行(最終アクロ訓練)を行う。 12月22日 - 第21飛行隊戦技研究班(T-2ブルーインパルス)解散、第11飛行隊(T-4ブルーインパルス)新編。
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