アメリカ艦隊の攻撃とは? わかりやすく解説

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アメリカ艦隊の攻撃

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/15 17:58 UTC 版)

バリクパパン沖海戦」の記事における「アメリカ艦隊の攻撃」の解説

これより前、連合軍ABDA艦隊司令部指揮官トーマス・C・ハートアメリカ・アジア艦隊司令長官)は日本軍の次目標バリクパパン予想しタラカン沖からマカッサル海峡南部に米潜水艦6隻(一部資料では7隻)と潜水艦2隻を配備したつづいて水上艦隊を派遣したが、航空支援がないため日本軍輸送船団発見できず、出撃しては燃料補給のため帰投せざるを得なかった。1月20日PBYカタリナ飛行艇ボルネオ東海岸バリクパパン沖で日本軍輸送船団発見する。これを受けてABDA艦隊司令部チモール島クーパン補給していたアメリカ海軍ウィリアム・A・グラスフォード少将指揮下)の軽巡2隻と駆逐艦6隻を出撃させた。ところが、軽巡ボイシ」は座礁事故損傷し軽巡「マーブルヘッド」も機関故障おこしてしまう。そこで巡洋艦2隻は、護衛駆逐艦2隻とともに戦列離れた。第59駆逐隊ポール・H・タルボット中佐)のクレムソン級駆逐艦4隻(ジョン・D・フォード英語版)、ポープパロットポール・ジョーンズ)だけが日本軍輸送船団攻撃できた。 1月24日未明アメリカ艦隊速力27ノットバリクパパン沖に侵入した。すでに月は没していた。炎上した南阿丸」や地上施設煤煙のため視界不良逆光のため沿岸停泊中の日本軍輸送船団シルエットは米艦隊から丸見えだった。また潜水艦K-18)の襲撃から30分しか経過していなかった。日本軍護衛部隊は上述のように警戒網を敷いていたものの、敵水雷戦隊夜襲をまったく予想していなかったという アメリカ艦隊日本側に発見されることなく船団接近することに成功し第15号掃海艇対し最初魚雷発射したが、命中しなかった。午前4時25分、船団北東哨戒していた第15号掃海艇南方から接近する四本煙突艦影を「那珂」と誤認するも、複数隻のため敵艦隊と判断すれ違いざまに雷撃されたが回避した日本軍護衛艦艇では「敵巡洋艦出現」「敵艦味方艦の誤り」「敵巡2隻」「敵見ゆ」などの情報次々入った襲撃中の米軍駆逐艦4隻は高速移動したため、「ジョン・D・フォード」、「ポープ」、「パロット」と「ポール・ジョーンズ」に分離した。それでも午前4時30分に特設急設網艦須磨浦丸」を雷撃して轟沈させた。なおサミュエル・モリソンの『太平洋旭日』等では、米軍駆逐艦4隻は常に単縦陣行動したことになっているが、日本側の戦闘記録戦闘詳報)と対比する実際に分離行動しており、とくに「ポープ」は「須磨浦丸」を雷撃後にそのまま離脱していったとみられる特設給兵艦球磨川丸」は右舷後方から接近してきた単艦の駆逐艦ジョン・D・フォード)から約10発の命中弾を受けたが、反撃して艦尾命中弾を記録した。この「ジョン・D・フォード」は船団の間を航行しながら「朝日丸」「影丸」「呉竹丸」を攻撃し4時45分に「呉竹丸」に魚雷命中させて撃沈した。「須磨浦丸」を撃沈した2隻(パロットポール・ジョーンズ)は午前4時35分に「辰神丸」を雷撃して撃沈南方離脱中に第38号哨戒艇雷撃したが回避された。第38号哨戒艇左舷にいた「哨戒艇37号」(元駆逐艦」)は、右舷から接近中の米駆逐艦2隻を「那珂」と誤認しているうちに魚雷1本が右舷艦尾命中つづいて魚雷2本が左舷艦首艦尾命中した。第37号・第38号哨戒艇南方にいた第36号哨戒艇は、午前4時50分に北西約2kmに「那珂」と似た艦影発見し射撃されたため南方転舵、「0500敵巡洋艦4隻を発見船団の南」と報告する。これは離脱中の「パロット」と「ポール・ジョーンズ」の2隻であった一方泊地から10〜13km東方航行中軽巡那珂」(西村司令官)に入った最初敵情報告は、午前4時40分に第15号掃海艇からもたらされた「四本煙突駆逐艦船団北方ニ現ハル(発午前4時20分)」であった西村司令官連合国軍駆逐艦攻撃気付いておらず、午前4時58分に「敵潜水艦魚雷艇ニ対シ警戒ヲ厳ニセヨ」と下令する。第36号哨戒艇の「敵巡洋艦4隻」報告対し西村司令官は「今ノ巡洋艦第二駆逐隊ノ誤ナラズヤ」と問い返し第36号哨戒艇は「今ノ巡洋艦四本煙突駆逐艦ノ誤ナリ」と応答した。「那珂」は第9駆逐隊率いて船団北方位置する推定され敵艦攻撃向かったが、混乱の中で同隊とはぐれてしまった。日本軍の損害判明したのは午前7時以降である。なお連合軍水雷戦隊襲撃による混乱乗じてオランダ潜水艦K-18再度襲撃をおこなう。午前6時50分頃、K-18駆潜艇12号雷撃するが魚雷艦底通過駆潜艇爆雷攻撃K-18損傷させた(日本軍撃沈確実と報告)。 オランダ潜水艦K-18」 米駆逐艦ジョン・D・フォード」(何度も那珂誤認された) 日本軽巡洋艦那珂」(日本側は本艦と米駆逐艦誤認した)

※この「アメリカ艦隊の攻撃」の解説は、「バリクパパン沖海戦」の解説の一部です。
「アメリカ艦隊の攻撃」を含む「バリクパパン沖海戦」の記事については、「バリクパパン沖海戦」の概要を参照ください。

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