アメリカ艦隊の集結
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/06 06:11 UTC 版)
「サンチャゴ・デ・キューバ海戦」の記事における「アメリカ艦隊の集結」の解説
キューバ方面のアメリカ艦隊はサンプソン提督の北大西洋艦隊とシュレイ提督の遊撃艦隊に有力艦を集めてスペインに対抗していた。スペインが本国からキューバへ艦隊を回航したように、アメリカ側も太平洋側にいた唯一の戦艦オレゴンをキューバ方面へ回航させて戦力の集結を図った。 3月19日にオレゴン(チャールズ・クラーク艦長)はサンフランシスコを出港させ、4月4日ペルーのカリャオに入港、、7日に出港して17日には南アメリカ大陸最南端のフロワード岬を回ってパタゴニアのプンタ・アレナス(サンディ・ポイント)港に到着、30日にリオデジャネイロに入港、回航時期が重なったために交錯を恐れてスペイン艦隊の動向を見定めてから5月4日にリオデジャネイロを出港し、8日バイーヤ入港、翌9日出港。18日に英領バーベイドス(バーベイドス諸島)に入港、翌日に出港。24日夜半、フロリダ州ジュピター入江に到着。26日、キー・ウェスト入港。68日間の回航を終えた。 アメリカではスペイン艦隊を過大評価しており、公称値で快速の装甲巡洋艦4隻を基幹としているスペインのセルベラ艦隊に対し、戦艦オレゴンが合流するまではアルフレッド・セイヤー・マハン大佐さえも両国艦隊の戦力は互角であると認識していた(特に整備が不十分なまま大西洋を往復していたビスカヤは公称に届かない14ノットしか発揮できない状態であった)。 アメリカでは指揮系統の統一化を図り、サンプトン提督の指揮下にシュレー提督を配置した。アメリカ艦隊は25日以降、サンチャゴ・デ・キューバ港を近接封鎖することとなった。
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