宗教詩への関心
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「T・S・エリオット」の記事における「宗教詩への関心」の解説
1927年、イギリス国教会で洗礼を受け、またイギリスの市民権を取得する。翌28年の『ランスロット・アンドルーズのために』(For Lancelot Andrewes) の序文で,彼は「文学においては古典主義、政治では王党派、宗教はアングロ・カトリック」と自分の立場を宣言している。母の死後に発表された1930年の『灰の水曜日』(Ash-Wednesday) は、ダンテ『神曲』のベアトリーチェを思わせる聖女が煉獄の階段をのぼるという宗教詩の気配をつよくまとうものになった。 このころからエリオットの名声はさらに高まり、1932年にはハーバード大学教授に招聘され、17年ぶりにアメリカへ渡った。アメリカ滞在中にはプリンストンやイェールなど多くの名門大学で講演を行い、それをまとめた『詩の効用と批評の効用』(The Use of Poetry and the Use of Criticism) で表明された詩劇への関心が、のちに殉教者トマス・ベケットをあつかった詩劇『大聖堂の殺人』(Murder in the Cathedral) などに結実してゆく。またアメリカ滞在中に、妻ヴィヴィアンと別居するようになった。 イギリス帰国後の文学活動はさらに幅を広げ、野外演劇フェスティバルへの参加、ケンブリッジ大学での講義など多忙をきわめた。このころ書かれた猫の詩「ポッサムおじさんの猫とつき合う法」(Old Possum's Book of Practical Cats) はエドワード・リアへの関心から書かれたナンセンス詩で、エリオット没後にミュージカル『キャッツ』に翻案されて人気を博することになる。 戦争中に書かれた作品の代表的なものは『四つの四重奏』(Four Quartets)で、これは危機を迎えた社会における古い伝統や歴史の重要さに目を向け、文明が再生する希望を語っているなどと評された。
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