同君連合国家「ヒールスタート」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/05 03:43 UTC 版)
「デンマーク=ノルウェー」の記事における「同君連合国家「ヒールスタート」」の解説
1773年、デンマーク王はロシア皇帝との条約で二重王国とホルシュタインへの主権を保障され、ここに同君連合国家「ヒールスタート」が成立した。デンマーク=ノルウェーはスウェーデンとも1753年に国境に関する条約を結び、ノルウェー北部のフィンマルクへの支配権が保障された。大北方戦争終結から18世紀末に至るまで、デンマーク=ノルウェーには直接の脅威が存在しなかったからである。 ヒールスタートの維持は異なる民族の合意と融合にかかっていた。それは第一にノルウェー人・デンマーク人・ホルシュタイン人、次いで北ノルウェーのサーミ人と植民地の様々な住民を含むその他の民族である。多様な文化を抱えるヒールスタートにとっては、共通の基盤を見出すことは困難であった。ヒールスタートは1つの民族からなるのか、あるいは複数の民族と複数の祖国からなるのか、という問題が呈された。ベアンストーフ・シメルマン・レーヴェントロウら1784年以降の権力者たちにとって、連合内の異なる言語や文化との連帯感の中で青年期を送ったことは決定的な意味をもった。特に1784年から1814年に至るまでには、借地農の法的地位を定める勅令(1787年)、土地緊縛制の廃止(1788年)など徹底的な改革が実行された。1790年には出版の自由も保証されたが、これは1799年に再び規制が強化された。
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