同和団体の介入と組合の同調
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/07 04:16 UTC 版)
「広島県での同和解放同盟による教育介入」の記事における「同和団体の介入と組合の同調」の解説
福山市や府中市を中心とする広島県東部では、1970年代ごろから部落解放同盟広島県連が小森龍邦という強力な指導者を得て強い勢力を持つことになり、日教組の下部組織である広島県教職員組合(広教組)と共同で、全国でも特異な「解放教育」が行れるようになった。小森は1982年に部落解放同盟の事実上の最高権力者である中央本部書記長に就任し、1985年には行政、広教組、部落解放同盟などの各組織が同和教育を連携して推進する、全国でも例のない「八者合意」を成立させた。これにより事実上広島県が、部落解放同盟の教育への介入を公認する形になり、これに連携した広教組により市内の公立学校に「日の丸・君が代問題」や「反天皇制」、「狭山事件の冤罪」などの特定のイデオロギーが教育に持ち込まれるようになった。また、広島県教育委員会も同和教育基底論という教職員組合の論理を否定せず、同和団体との事前協議や君が代斉唱禁止などを追認する形となった。校長らは「指導計画や行事の進め方など学校運営の多くを、解放同盟地区支部を訪ねて協議した上で、決めていた」と証言し、解放同盟地区支部の同意がないと教職員は校長の指示に従わず、校長の権限も形骸化してしまった。しかし当時の広島県知事も解放同盟との教育の連携について見直すつもりはないとして、この異常な状態はその後長く続くこととなる。戸手商業高校事件のように直接的な暴力事件も発生した。
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